香取慎吾さん(中央)とパラ陸上砲丸投げの斎藤由希子選手(左)、パラ柔道(視覚障害)の広瀬順子選手=柴田悠貴撮影
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 朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんが選手と対談したり、競技を体験したりする「慎吾とゆくパラロード」。今回はパラ陸上・砲丸投げの斎藤由希子選手(30)、視覚障害者柔道の広瀬順子選手(33、ともにSMBC日興証券)と語り合いました。広瀬選手は東京パラリンピックで満足のいく結果が出せず、斎藤選手は出場がかないませんでした。それぞれ悔しさをバネにパリ大会に向けて邁進(まいしん)しています。

  • 慎吾とゆくパラロード

 香取慎吾(以下、香取) これが砲丸か。重さは4キロ? 小さいのに重い。

 斎藤由希子(以下、斎藤) 学生時代に砲丸を投げたことは?

 香取 僕はずっと芸能界にいたので、投げる機会はなかったかな。パリ・パラリンピック出場が決まれば、本番でこれを投げるんですね。緊張しますか?

 斎藤 出場したことがないので、どんな気持ちになるんでしょう。まずは5月の世界選手権(神戸)で自分の立ち位置を確認した上で、投てき精度を高めて100%以上のパフォーマンスを発揮したい。

 広瀬順子(以下、広瀬) 私は出場枠を得るために多くの国際大会に出場してきました。枠の確保は確実な状況です。本番までの期間はさらに練習を積んで、メダルを取れるように頑張りたい。

香取慎吾さんとパラ陸上の斎藤由希子選手、視覚障害者柔道の広瀬順子選手による対談は4月27日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも紹介します。

 香取 パラアスリートの皆さんとお話をしていつも思うのは、みんな「今」を大事にしているということ。広瀬さんは今まで見えていたものが見えづらくなるつらさがあったと思う。今という瞬間はやっぱり今しかないんだよね。

 広瀬 19歳の時に目の病気になってからは後悔のないように日々を過ごそうと思ってきました。

 香取 長く競技を続ける選手は多いけど、続けるのはそう簡単じゃない。

東京パラ後、引退を撤回

 広瀬 そうですね。8年前のリオデジャネイロ大会は銅メダルを獲得した。でも、東京大会では3位決定戦で敗れてしまい、引退を考えました。競技以外の人生も楽しみたいと思ったからです。でも、柔道とてんびんにかけて勝ったのが柔道でした。

 香取 斎藤さんは?

 斎藤 私はパラリンピックを経験することなく、競技をやめようと思ったことがありました。東京大会は専門である砲丸投げの上肢障害F46クラスが実施されず、仕方なく同じクラスのやり投げで出場を目指しましたが、かなわなかったからです。けがにも悩まされました。

 香取 でも、その後、専門種目は復活したんだよね?

 斎藤 そうなんです。悩んでいた2021年冬にパリ大会での実施が決まり、「やっとか」と。やめないで本当によかった。陸上に対する熱量が一段と上がった状態でパリを見据えています。

 香取 続けるつらさというものは僕にもよく分かる。若い頃は「今を生きる」って言っていたけど、いつからか「明日を生きる」という言葉に変わっていた。そうしないと周囲から置いていかれそうな気がしていたから。長い芸能生活はつらいこともあった。だけど、支えがあって続けることができている。

 広瀬 私は夫がコーチという立場で支えてくれています。2人で柔道をしている時が一番楽しい。私が練習し過ぎたら「気楽にやれば」と声をかけてくれます。家ではいつも柔道の話をしています。心の支えです。

 斎藤 私も夫がコーチとして、投てき時の動画を見ながらアドバイスをくれます。ただ、家で競技の話で盛り上がることはないですね。私は逆にもっと練習しろと言われています。

 香取 タイプが違っておもしろいね。東京大会から時間が経つにつれてパラスポーツに接する機会が少なくなっていたけれど、こうしてお二人の思いを聞くことができて楽しいし、うれしい。さらにパラスポーツへの熱量を高めていきたいという気持ちが湧きあがってきた。

パラアスリートの役割

 斎藤 パラスポーツを知ってファンになってくれる人が増えて欲しい。私は生まれつき左ひじから先がない障害のため、中途障害で手足を失った選手らのように現実を受け入れるまでの葛藤は経験していません。でも、高校2年生の時に東日本大震災で宮城・気仙沼の自宅が流され、半年間ほど避難所生活を余儀なくされました。私の逆境はまさにそこにあるんです。

 香取 そんな状況で競技を続けてきたの?

 斎藤 大震災からはい上がり、義手をつけて世界で戦うアスリートになったよ、と講演先の小学校などで伝えています。自分を知ってもらうことは、パラアスリートの発掘にもつながってきますから。

 香取 広瀬さんは?

 広瀬 私も競技活動とともに、病気で障害を負った経験や困難とどう向き合い、立ち上がってきたのかを伝えています。様々な背景を持ったパラアスリートの活躍を知る子どもたちが増えれば、共生社会の実現につながると思うからです。

 斎藤 私たちは所属企業の社員として働き、障害者やパラスポーツへの理解を深める活動にも意欲を持っています。それこそがパラアスリートの役割だと思うからです。所属企業には陸上や視覚障害者柔道のほかに車いすラグビーなど全17選手がいて、東京大会後も変わらず企業のサポートを受け、共生社会に向けた取り組みを続けています。

 香取 僕もその一助になりたいと思って、パラスポーツを見て応援を続けている。僕が知ることを通して多くの人にパラを知って興味を持って欲しい。パリ大会も現地に行けたら、その経験をみんなに伝えていきたい。応援しています。

 斎藤 出場がかなえば初めてのパラリンピックになる。目指してきた夢舞台。自分が一番楽しみたいと思っています。

 広瀬 周囲を気にしすぎたら重圧も大きくなる。楽しむという心意気を持てた選手が一番強いと思う。応援してくれる人たちのためにも頑張りたいです。

 斎藤由希子(さいとう・ゆきこ) 1993年8月生まれ、宮城県出身。中学で競技を始め、仙台大4年時に砲丸投げ(上肢障害F46)で12メートル47の世界記録(当時)を樹立。一時やり投げに転向したが、パリ大会は自身のクラスが4大会ぶりに実施されることから砲丸投げで挑む。昨年の世界選手権では銅メダルを獲得。

 広瀬順子(ひろせ・じゅんこ) 1990年10月生まれ、山口県出身。小学5年で柔道を始め、高校時代は全国高校総体に出場した。19歳で膠原(こうげん)病を患い、視野の中心が見えない弱視となった。22歳で視覚障害者柔道に転向。初出場した2016年リオデジャネイロ大会女子57キロ級で銅メダルを獲得。東京大会は5位入賞。

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