2024年のノーベル平和賞に、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれた。悲願の知らせに、関係者からは喜びの声があがった。ただ、被爆者たちが願ってきた核兵器廃絶の実現の道筋は見えていないのも現実だ。
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13歳の時に長崎で被爆し、長く日本被団協の活動を支えてきた代表委員・田中熙巳さん(92)は自宅アパート前で取材に応じ、「数日前に受賞する夢を見ていた。本当になったのかとうれしい」と笑顔を見せた。
中学1年の時、長崎市の爆心地から約3・2キロにあった自宅で被爆した。爆風で飛んできた格子戸やガラス戸の下敷きになり、気を失った。自身に大きなけがはなかったが、親戚5人が亡くなった。戦後は東北大工学部で研究をしながら被爆者運動に関わり、事務局長や代表委員として、日本被団協の活動を率いてきた。
田中さんは緊迫する国際情勢を念頭に、「この情勢が続けば、また核兵器が使われる危機がある。世界の人に核の恐ろしさを知ってもらいたい」とし、日本政府に対して、「安全を戦力で保とうというのが間違っている。核兵器の被害にあった日本が、核の危機や核禁止を訴える先頭に立つ必要があるが、反対の状況になっている。国民が政府に怒らなければならない」と力を込めた。
「本当かな…」涙浮かべ、ほおをつねる
日本被団協の代表委員で、広島県被団協の理事長、箕牧智之さん(82)は11日、広島市役所で、高校生平和大使らとスマートフォンの画面を見ながら発表の様子を見守っていた。
「日本被団協」という中継の声が聞こえると、驚いたように顔を上げた。
「本当にもう…うそみたい」「本当かな。夢のようだ」。目に涙を浮かべながら、報道陣に向けてほおをつねって見せた。
世界で紛争が続き、核使用の脅威が高まっている中での受賞だ。会見では、「ガザでの紛争で傷ついた子どもたちと、原爆孤児の姿が重なる」と声を詰まらせた。
箕牧さんは会見で、受賞を喜ぶ一方、石破茂首相が就任直前に米保守系シンクタンクに寄稿した論文で「米国の核シェアや核の持ち込み」を検討するよう訴えたことにも言及した。「被爆者としては考えられないことだ。日本は非核三原則がある。地球中から核兵器がなくなるまで、私たち被爆者が訴えていかなければならない」
自身も、原爆投下後の広島市内に父を捜して母と入り、入市被爆したことを説明。「5歳や10歳で被爆して亡くなった人たちは、テレビを見ることも、新幹線を見ることもできなかった」と核兵器の非人道性を訴えた。
今後について、「とにかく平和を訴えたい。受賞によって、私たちの訴えている核廃絶の思いにはずみがついた」と話し、こう続けた。
「世界の皆様、私たちが生き…