五十嵐太郎・東北大学大学院教授=東京都渋谷区、岡田玄撮影
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 今年3月、東京の新宿区立公園に設置されたベンチが「意地悪ベンチ」などとSNSで話題になりました。路上生活者などの排除を目的としたベンチなどの問題を20年前から論じてきた五十嵐太郎・東北大学教授に聞きました。

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 ――「排除ベンチ」を扱った著書「過防備都市」で、日本の都市空間のあり方に警鐘を鳴らしてから、今年で20年です。もはや、排除ベンチが当たり前の存在になったように感じます。

 「『過防備都市』では防犯カメラにも触れましたが、これも受け入れられた印象です。排除ベンチもそうですね。ただ、新宿区の公園に設置され、SNSで話題になったところをみると、世間ではあまり知られてこなかったのかと感じました」

 「こうした排除ベンチは、米国では80年ほど前からありますが、日本で増え始めたのは1990年代からでした。ホームレス対策が理由とされ、その後は製品化され、各地で設置されてきました」

もはや忘れられた「理由」

 「いまは公共の場所にあまりゴミ箱がありませんね。1995年の地下鉄サリン事件を機に、テロ対策を理由に駅など公共の場からゴミ箱が撤去されたのがきっかけです。テロの恐れがほとんどないであろう地方の小さな都市にも広がりました。そうした環境で育ってきた若者で、ゴミ箱がない理由を知っている人はほとんどいないでしょう。排除ベンチも同じです。もはや理由もなく置かれていると言えます」

 「座面が湾曲していたり、中央部に金属の棒が付けられていたり、腰掛けの奥行きが短かったり……。一目見ただけでわかりますが、とにかく座りづらい。そういうプロダクト(製造物)です」

 ――オブジェのようなものもあり、「排除アート」とも呼ばれます。もしかしたら、自治体の担当者や公園管理者はおしゃれだと思っているかもしれません。

 「そうですね。私は、こうした製品を『アート』と呼ぶべきではないと主張してきました。そもそも意図された『デザイン』ですから。でも、今は『排除』という言葉もずれていると感じています」

 ――どういうことですか。

 「もはや排除の意図が忘れら…

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