カトリック教会を同性愛者の信者たちにもっと開かれた存在にすべきだ、と主張するジェームズ・マーティン神父。ニューヨークのカトリック雑誌「アメリカ・マガジン」のオフィスで=2017年9月、ニューヨーク・タイムズ

For Gay Catholics and Supporters, a ‘Sense of Whiplash’ Over Pope’s Reported Use of Slur

 2013年、同性愛者の司祭について質問されたローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、「私に人を裁く権利があるだろうか」と答えた。23年にはローマ・カトリック教会内の保守派の批判を押し切って、司祭が同性カップルを祝福することを認めた。そして、その教皇は数週間前、司教会議において、男性同性愛者に対するイタリア語の侮蔑的な言葉を使ったことを、ローマ教皇庁(バチカン)の声明を通じて謝罪したばかりだった。

 だからこそ、教皇が6月11日にローマで行われた司祭らとの会合で男性同性愛者に対する差別的な表現を再び使用したという報道に接し、深く傷つき、戸惑った同性愛者のカトリック信者たちがいる。こうした信者たちは長い間、ローマ・カトリック教会により深く受け入れられることを期待しながら、教皇の発言に注意深く耳を傾けてきた。

 聖職者や神学校における同性愛者の存在について語る文脈でなされた教皇の発言は、彼の寛容さの限界を示した――。カトリック教会はより積極的に性的少数者(LGBTQ)の信者を受け入れるべきだと考えている人々の中には、インタビューや公の発言でそんな感想を語る人たちがいる。教皇には頑固な偏狭さを示す意図はなかったかもしれないが、侮蔑的な言葉は不快で許容できないと語る人々もいる。

 「まるでむち打たれたかのように、大きな一撃を受けた感覚にとらわれた」と語るのは、ニューヨークを拠点とするLGBTQの教会関係者らの活動グループのリーダーの一人、マイケル・オローリン氏だ。彼も多くの同性愛者のカトリック信者と同じように、教会との関係に苦しんできたという。「私は(ジャーナリストとしてカトリック教会の)好ましい動きを随分取材してきたが、こうしたことが起きると、『あー、これは一体何なんだ』という気持ちになる」

 教会をもっと同性愛者のカトリック信者たちに開かれた存在にすべきだ、と声高に主張するジェームズ・マーティン神父は、今回(6月11日)の発言の後に、教皇が住むバチカンのゲストハウス「サンタ・マルタ館」で教皇と面会したという。面会後、同神父はSNSに次のように投稿した。「ローマ教皇[the Holy Father]の許可を得て共有します。教皇は、善良で聖なる独身神学生や司祭で、同性愛の傾向を持つ人を大勢知っていると語りました」

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教皇と面会したマーティン神父は、「教皇は冗談半分に口にしたとされる侮蔑語の不快さを十分に理解していなかった」「いま、あの言葉がどれほど人々を不快にしたかを理解している」とNYTの取材に語ります。一方、発言の意図にかかわらず、教皇は自身の言葉に責任を負う、と指摘する人もいます。

 過去に教皇は、疎外されてい…

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