Re:Ron連載「よりよい社会」と言うならば(第11回)
心身が健康で、しあわせを感じていたら――それに越したことはあるまい。これを否定するほどひねくれてはいないと自覚している。そしてそれが、社会全体として「望ましい」ことならば、
“どうしたら「しあわせ」になれるのか”
“「しあわせ」な人とそうでない人とは何がどう違うのか”
などという問いがそこかしこから湧き出て、「しあわせ」への方法論が手練手管の限りを尽くして提唱されるのも無理はない。
昨今はその「しあわせ」と同時に「ウェルビーイング」ということばをしばしば耳にする。朝日新聞デジタル版で検索すると、「ウェルビーイング(心身の健康や幸福)」 という風に、「しあわせ」と「ウェルビーイング」は同義語とされていることがわかる。
そのウェルビーイングだが、研究も盛んだ。以前「朝日新聞SDGs ACTION!」のサイトでも日本の第一人者の前野隆司・慶応義塾大教授(当時)のインタビューが掲載されており、その中でウェルビーイング研究は次のようなわかりやすい一文になっていた。
“「どういう人が幸せか」という研究で、「創造性が高い人は幸せ」「幸せな人は生産性が高く、創造性が高く、長寿である」「親切な人は幸せ」といった、ちょっと意外に思えるようなものも含めていろいろな研究結果が出てくる” (前野隆司氏)
なるほど、現在「しあわせ」な人に共通する特徴をあぶりだしたものを、「しあわせ」の要件とする。するとそれを裏返すようにして、様々な奨励されるべき行動も明らかになる。
“「創造性」を高めましょう”
“「自己実現」が大事ですね”
などといった具合だ。
しかし、私は考えてしまう。この一見すると曇りなき、ウェルビーイングこと「しあわせ」の探求だが、今のまま称揚されることに問題はないのだろうか。特に昨今、ビジネスの文脈でも、いつかの「健康経営」に代わるかのように「ウェルビーイング経営」が掲げられ、人・モノ・カネがその方向に一斉に走るトレンドがあるが、立ち止まって考えてみてもよいのではないか。
「『よりよい社会』というならば」連載第11回は、「しあわせ(ウェルビーイング)」について解きほぐしてみたい。結論を先取りすれば、本来「ウェルビーイング」に込められた肝心な意味合いが抜け落ちた形で流布されている点を不安視している。
Well-Beingとは? 70年以上の時を経て
「ウェルビーイング」とは元々、1948年発効のWHO憲章前文で示された概念である。その後、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の中で目標3「Good Health and Well-Being」に掲げられ、より一般的になったと言える。
「単に個人が幸せであればいいのではなく、個人と社会、ひいては地球全体が満たされた状態とは何かを考えるべきもの」との説明が掲げられていることからすると次のような特徴を抽出できる。
「健康」の意味を矮小(わいしょう)化、単純化することなく、「健全性」にまで押し広げた点で、先進的かつ福祉的なきらめきを持つことばである、と。
さて、この点をよく踏まえて、それから70年以上の時を経た日本において、どのように語られているのか、確認してみることにする。
まずはこの国会の議論をご覧…