2025年は阪神・淡路大震災から30年の年です。忘れられない記憶となった大震災ですが、当時神戸で被災し、その後、大阪に転居した男性の話を今回は紹介します。彼はもう亡くなりましたが、個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名でお送りします。
まだ世界が目覚める前、薄暗い夜明けに突然地面が上下して、私が住んでいる京都もこれまでに経験したことのない地震に遭遇しました。
寝床にいた私は、大慌てでとび起き、妻や子どもの安否を確認しに行きました。その日は全く交通機関が動いていなかったため、時間をかけて大阪の診療所にたどり着くと、テレビの画面に映っていたのは何本もの煙が立ち上る神戸の姿でした。
それからしばらくして、神戸の医療機関から連絡を受けました。「こちらの病院や診療所が機能していないので、何人かの患者さんを担当してもらえないか」というものでした。
避難所にいる人もいれば、自宅が被災したものの何とか家で過ごせる人もいました。混乱の中、当時70歳で血管性認知症の山口慎吾さんと、私は出会いました。
彼は震災で多くの家々が火災に巻き込まれた神戸市内から、いち早く大阪の親戚の家に避難してきた人ですが、初めてお会いした時にはこちらが言葉をかけるのをちゅうちょするほど憔悴(しょうすい)した様子でした。
長年連れ添った妻を震災で亡くした直後だったからです。地震直後からの火災のため、がれきの下敷きになって動けないまま亡くなった妻を見届けたのち、大阪に避難してきていました。
ストレスからぼんやりした状態へ
記憶力の低下が、悲壮な体験…