2018年、自民党の派閥「宏池会」の事務所での岸田文雄氏。領袖(りょうしゅう)として先輩の宮沢喜一(左)、鈴木善幸両元首相の写真が飾られていた=東京・永田町
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記者解説 編集委員・藤田直央

 戦後日本政治に「保守本流」という言葉がある。自民党の長期政権を支えた人脈と政策の系譜だ。それを体現した宮沢喜一元首相の40年間に及ぶ政治行動記録がこのたび見つかった。その宮沢氏の流れをくむ岸田文雄首相の政権運営は混迷を極める。両方の取材に携わる立場から保守本流を考える。

 3月、東京都内での自民党大会。「幾多の困難、どんな時代も我々は立ち上がってきた」と敗戦や震災からの復興のイメージ映像が流れ、総裁の岸田氏が「(政権与党は)自民党でなければならない。だからこそ変わらなければならない」と語った。内政や外交の課題をどう克服していくかの理念よりも、とにかく裏金問題を乗り越えようとの思いがにじんだ。

 保守本流は政策的には吉田路線として知られる。敗戦直後の占領期や1952年の主権回復前後の首相、吉田茂氏が歩んだ道だ。防衛力強化より経済復興を優先。新憲法のもとでの抑制的な防衛政策と、冷戦下で米国側につく日米安全保障体制を導いた。

ポイント

 裏金問題で窮地の自民党は「保守」を掲げるが、そもそも何を守ろうとしているのか。軽武装・経済重視の「保守本流」は冷戦後に揺らぎ、その場しのぎの政権維持が続く。政治資金規正法の改正で「統治責任」を示さねば、保守政党としての再生はない。

 55年、吉田氏らが率いた自…

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