伝統あるNHK交響楽団で、オーケストラのリーダーといえる第1コンサートマスター(コンマス)に昨年4月、30歳で就任した宮城県多賀城市出身の郷古廉(すなお)さん。注目を集める若きバイオリニストは、東日本大震災で「偶然に救われた」とも思える経験から、演奏する意味や存在意義に悩み、自分自身を見つめ直したという。
夢をかなえた、夢に向かう、夢を与える……。そんな東北にゆかりある人たちの活躍を、ロングインタビューでお届けします。
「代表」という言い方、好きではない
――ゲストコンマスから第1コンマスになりました。変化は
「これまでより責任感を感じますし、『みんなともっとコミュニケーションをとりたい』と、より仲間意識が強くなりました。でも、コンマスはリーダーと見られますけど、みんなでやるのがオーケストラ。『顔』ではあると思うけれど、僕は『代表』という言い方は好きではないです」
――バイオリンを始めたきっかけは。
「覚えていないですが、2、3歳の頃、姉2人が通っていた音楽教室の発表会で初めてバイオリンの音を聞いて、自分で『あれがやりたい』と言ったようです」
「両親は『まだ早いかも』と待ち、5歳ぐらいに僕の気持ちが変わらなかったのでバイオリンを買ってくれました」
――音楽一家で英才教育を受けたのですか。
「両親は音楽家ではなく、ごく普通の家庭でした。だから僕に何も強制しなかった。ただ楽しいから弾いてるみたいな感じで、ガツガツ練習した記憶もないです」
「1日に10時間練習する、といったことはいまだにないですね」
――勝手にうまくなって、小さな頃からコンクールで成績を残したと。
「すごく嫌なヤツみたいじゃないですか(笑)」
「ただ、記憶力があって勉強が得意とか、運動神経が良くて足が速いとかと似たような部分はあったのかもしれません。練習も含めて自然にステップアップしていけたという感じかな。音楽教室の中で自分が特別うまいという感覚はなかったですけど」
――いつごろ、自分で「いけるかも」と思いましたか。
「小5で初めてコンクールに出て全国1位になった時、『自分に向いているかな』と漠然と感じました。先生たちも、当時の僕のレベルでは少々難しい曲でも『弾きたい』と言えば、どんどんやらせてくれ、僕も弾きたいから頑張りました。うまく導いてくださいました」
「両親の名誉のために言っておくと(笑)、決して何もしなかったわけではなく、『視野の広い人間になれ』と常々言っていました。だから積極的に自然に触れさせてくれたし、色々な経験をさせてくれた。『音楽だけの人間になって欲しくない』という気持ちはすごくあったと思う。だからこそ僕はのびのびと音楽に向き合えましたね」
――15歳からウィーンに留学しています。
「ヨーロッパで短期の講習を受けに行って、習いたいと思えた先生がいたのが一番大きかったです」
――10代で外国で暮らし、故郷に対する考え方は変わりましたか。
「故郷と言うよりも、外国に出ることで日本に対して感じることがたくさんありました。欧州はいろんな言語、文化があり、宗教も違って正解はない。みんな違う考えを持っている。そのことを、早い段階で肌感覚で得られたのはすごく素晴らしい経験でした」
当時の僕にとっては重すぎた真実
――2011年3月11日は日本にいました。
「当時17歳。里帰りして、家で練習をしていました。強い地震はそれまでも経験があったのですが、あまりにも長くものすごい強い揺れが続いたから、地震じゃなくて隕石(いんせき)でも落ちたのか?と分からなくなった感覚を覚えてます」
「あの日は、サイクリングで…