崩壊したシリア・アサド政権は長年、北朝鮮との間で化学兵器や核開発を巡る協力が問題視されていました。2013年に米国に亡命したシリアの元外交官、バッサム・バラバンディ氏は「どんな強い体制でも、時が来れば崩壊する」と語ります。
――なぜ、亡命したのですか。
11年に革命(シリア内戦)が始まったとき、ワシントンのシリア大使館に勤務していました。アサド氏が平和的な方法で人々の声に耳を傾けることを望みましたが、彼は人々を殺戮(さつりく)しました。
国民を殺害する政府からの給料は受け取れませんでした。私の給料は血だらけだと感じました。
――アサド政権崩壊のニュースを、どんな思いで聞きましたか。
アサド氏と彼の父(ハフェズ・アサド氏)は1971年以来、恐怖と殺戮の帝国を築いてきました。誰もアサド政権を望んでいませんでしたが、ロシアとイランが政権の維持に関与してきました。
アサド政権が長く生き延びてきただけに、政権の崩壊は夢のような出来事でした。
――アサド政権時代、人々の暮らしはどのようなものだったのですか。
体に巣くった深刻ながんと一緒に生きているようなものでした。生き延びるためには、自分を適応させる必要がありました。痛みや飢餓、すべての悪と共に生きるのです。治療薬はありません。誰もが良い体制ではないことを知っています。醜い犯罪政権です。すべてのシリア人の共通認識でした。
(内戦が始まった)11年に約2200万人のシリア人がいましたが、そのうち約1千万人が難民になりました。彼らは家も仕事も失いました。今、人々は幸せです。
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ウクライナにとどまらず、パレスチナ情勢や台湾、北朝鮮、サイバー空間、地球規模の気候変動と世界各地で安全保障が揺れています。現場で何が起き、私たちの生活にどう影響するのか。のべ290人以上の国内外の識者へのインタビューを連載でお届けします。
――拷問や処刑で数万人が死…