真偽不明の情報や陰謀論に絡め取られやすい人間の心理。デマの流布などそうした安易な「物語」による悪影響を警戒する声がある一方で、米国では「物語」化により市民の力を結集し、社会を変えようとする「コミュニティー・オーガナイジング」の手法が盛んだ。犯罪学が専門の社会学者で立教大特任教授の津富宏さんは、社会運動の活性化には「物語」が必要だという。どういうことだろうか。
――兵庫県知事選などの今年の選挙では、事実無根の情報が飛び交う現象が見られました。勧善懲悪や英雄待望、既存の権威や権力への不信といった「物語」化とどう向き合えばよいでしょうか
安易な「物語」化はデマや陰謀論の流布につながりかねず、弊害があります。でも「物語」がもたらす影響は悪い面ばかりではないとわたしは考えています。
米国では、地域住民の小さな声を集めて社会変革を実現する社会運動の手法としてコミュニティー・オーガナイジング(住民組織化)の手法が確立されています。地域住民らがゴミ処理や上下水道の維持といった生活に密着した問題で協力し、共通の利益に向かって行動するよう組織化する。コミュニティー・オーガナイジングは、ひとりひとりの「物語」が実は公共的なものであるという気付きを促すことを通じて人々を組織化するもので、お互いの関係を築くために「ストーリー・テリング」が意識的に用いられています。
――「ストーリー」には善しあしがあると思いますが、どう使い分けるのでしょうか
例えば犯罪学の領域でいうと、1990年代から2000年代に日本国内で「体感治安」の悪化が懸念された時期がありました。少年犯罪や凶悪事件が報じられ、必ずしも警察の刑法犯認知件数は増えていないのに社会不安が高まりました。目立つ事件を根拠に「治安が悪くなっている」と危機をあおるのも一つの語り方。「事件の数自体は減っており治安は悪化していない」と根拠を示すのも別の語り方です。誰による、何のための「語り」かという点が問われます。
住民運動を活性化するためのコミュニティー・オーガナイジングは、言ってみればローカル・ナレッジ、つまり、くらしに根差した、まち単位の自治や公民権運動、女性解放運動などの民主主義の経験則を整理し、活用できる方法論として、抽象化・理論化したものです。アメリカ建国以来の労働運動、女性運動、公民権運動など、住民組織化による「達成」の歴史を語り、いま自分たちはどの地点にいるのか、今後どこへ向かおうとしているのかを意識させます。
米国では、コミュニティー・オーガナイジングの要素が公民教育に取り込まれています。例えば、ミシガン州ジェネシー郡のデービソン高校の放送部が10年近く取り組んでいる、地域の飲料水の汚染問題を追及したドキュメンタリー作成もそうした学びの成果です。
ジェネシー郡の郡庁所在地フリント市の住民は2010年代半ば、水道管の腐食により水道水中の鉛濃度が上昇し、死者が出た疑いも指摘されるなどの水危機に見舞われました。ミスを認めず水は安全だとする当局に対し、住民や専門家らはコミュニティー・オーガナイジングを活用して問題を追及してボトル入りの安全な水の配給を要求し、長期的なインフラ投資の軽視や都市政策の不備の問題が全米の注目を集めました。
高校放送部は16年にこの問題を自分たちの手で調べ住民たちの活動を報じる優れたドキュメンタリーを作成し、21万回も再生されています(https://www.youtube.com/watch?v=TA53UEr2vaQ)。約10年がたつ今も、後輩たちが先輩たちの活躍を引き継ぎ、水道管の交換など今後も長く続く水問題と、それに対抗する住民の活動を報告する動画をつくっています。
しかし、日本の学校教育では、当事者としての課題発見・解決型のカリキュラムが不足しています。一方、高校生に地域づくりへの参加を求める探究学習などの授業が増えていますが、民主主義を背景にもたない「地域づくり」は、権利を基盤に持つ市民教育とはなりません。
――日本の選挙も、複数の「語り」の競合が生じていたと見ることができそうです
治安や選挙は身近な問題であ…