飛鳥時代の歴代天皇の宮殿が重なる奈良県明日香村の飛鳥宮跡(国史跡)で、宮内最大の大型建物跡が確認された。奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が27日発表した。天武天皇(在位673~686年)が即位した飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の時期の建物とみられ、規模や建築構造の特徴から、天皇や皇后の私的な施設だった可能性が指摘されている。
見つかったのは、1辺1・5~1・7メートル、深さ1・5~2メートルの掘っ立て柱の抜き取り穴14個。隣接地で同規模の柱穴12個が見つかった2009年度の調査結果とあわせ、東西約35・4メートル、南北約15メートルの四方にひさしを持つ大型建物跡と確定した。
宮跡の中枢部「内郭(ないかく)」にある天皇の住居とされる正殿(東西約24メートル、南北約12メートル)や、天皇が政務や儀式を執り行う大極殿(だいごくでん)との説が強い「エビノコ大殿」(東西約29・2メートル、南北約15・3メートル)よりも大きいが、現地は内郭の外側(北西約40メートル)にあたり、国内初の本格的な宮廷庭園跡「飛鳥京跡苑池(えんち)」(国史跡、名勝)と隣接する。
構造に特徴があり、母屋の東西の柱と柱の間隔は約3メートルだが、両端だけ約4・2メートルとやや広い。平城宮内裏や、天武天皇の孫にあたる長屋王の邸宅などでしか確認されていないという。
専門家からは、皇后の住まいや、天皇の特別な行事に使われた施設などとの見方も出る。飛鳥時代の歴史に詳しい猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「規模と格式から言えば、天皇の住まいでもおかしくない。飛鳥宮の構造に見直しを迫り、のちの藤原宮、平城宮、平安宮につながる長い歴史の中で考えるべき重要な発見だ」と話す。
現地説明会は30日と12月1日(いずれも午前10時~午後3時)。問い合わせは橿考研(0744・24・1101)。(塚本和人)
■内裏の先駆け? 天皇の仏殿…