名古屋市にはかつて多くの軍需工場があり、全国の都市で5番目に多い約8千人が太平洋戦争中の空襲で犠牲になった。市は民間戦災障害者を対象とした独自の支援制度を設け、高校生の働きかけで「なごや平和の日」も制定した。ただ、河村たかし前市長の言動が物議を醸し、市政に影響が出ることも。24日に市長選の投開票を控えるなか、市民は次の市長にどう期待するのか。
民間戦災障害者に独自の見舞金制度
4歳の時、空襲で右目を失明した名古屋市名東区の村手篤男さん(83)は5年ほど前から毎年、市の「戦災傷害者援護見舞金」を受け取っている。最初は3万7千円だったが、いまは10万円だ。
学校や職場で片目は不自由だったが、民間戦災障害者に対する国の支援制度はない。両目の失明ではないため、障害者手帳ももらえない。だが、同市は2010年度から独自に、民間戦災障害者に限った見舞金制度を始めた。全国でもほかには浜松市などにしかない先駆的な制度だ。
当事者の申し立てを専門家らが審査する仕組みも整えている。民間戦災者の救済立法を検討する超党派の国会議員連盟も参考にする取り組みだ。
見舞金の初年度の支給対象者は95人。病死などで減り、今年度は村手さんを含め34人になった。最初は気づかず受給が遅れた村手さんだが、「年金暮らしの身にはありがたい。次の市長にも続けてもらいたい」と話す。
物議醸す発言、途絶えた交流
市は今年3月、「なごや平和の日」条例を制定した。少なくとも全国18都県市町に同様の条例があるが、高校生の働きかけがきっかけとなっており、追悼だけでなく、継承に重きを置く点など独自性もある。市は来年の戦後80年事業に向けた検討も始めている。
いずれも河村前市長の肝いり政策だ。河村氏は祖母を空襲で亡くしたうえ、自身も民間戦災者の救済立法運動に長年関わってきた。
一方で、戦時に関する河村氏の言動は時に、物議を醸し、市政に負の影響をおよぼし続けている。
「一般的な戦闘行為はあったが、南京事件というのはなかったのではないか」
12年、姉妹友好都市の中国・南京市からの表敬訪問に対し、市長として出迎えた河村氏が、日中戦争当時の「南京大虐殺」(1937年)についてこう発言。戦時、現地にいた父親の体験などをもとにした持論だったが、中国側が強く反発。両市の公的交流はいまも途絶えたままで、中学生のスポーツ交流にも影響が出ている。市は米ロサンゼルス市など世界六つの友好都市を持つが、南京市とのみ交流が途絶えている。
実現しなかった減免
河村氏の姿勢は、名古屋市名東区にある民間平和資料館「ピースあいち」の運営にも影を落としているという。
宮原大輔館長(71)らによると、当時、公的な文化施設として固定資産税や都市計画税の減免を条例に基づき、市に求めた。だが、面談した河村氏は「(南京事件などの)展示がある」と指摘。減免は実現しなかった。
資料館ができたきっかけは、愛知県や名古屋市に戦争資料館の建設を求める市民運動だ。県と市が財政難などで渋る中、民間の寄付で2007年に開館した。その後、県教育委員会から博物館相当施設に指定された。市立学校に戦争体験の語り手を派遣するなど、市とのかかわりもあるが、財政支援は受けていない。
「せめて税の負担を減らしてほしい、と頼んでいるだけなんだが」と宮原館長。新市長に改めて要望するつもりだ。(編集委員・伊藤智章)