アナザーノート 前西部報道センター次長・土佐茂生
九州のある町の山奥で、イスラム教徒の土葬墓地建設計画が持ち上がった。地元から反対の声があがるなか、許可権限をもつ町長は判断を迫られた。そのとき、首長が耳を傾けるべき民意はどこにあるのか。
ニュースレター「アナザーノート」
アナザーノートは、紙⾯やデジタルでは公開していないオリジナル記事をメールで先⾏配信する新たなスタイルのニュースレターです。今回は10⽉27⽇号をWEB版でお届けします。レター未登録の⽅は⽂末のリンクから無料登録できます。
大分県日出(ひじ)町は人口約2万8千人で、国東半島の南端にある。鹿鳴越(かなごえ)連山を北に、別府湾を南に望む自然豊かな町だ。別府温泉がある観光地・別府市と隣接し、大分市に湾沿いに25キロほどで行けるため、子育て世代に人気の町でもある。
2019年3月、この町にイスラム教徒の土葬墓地建設の話が浮上した。別府市の宗教法人「別府ムスリム協会」が、同町の西端にある高平(こうびら)区に土地を購入。ここに土葬墓地を開設したいとして、墓地等経営計画協議書を町に提出したのだ。
イスラム教では、死後、神の審判が下る日の復活を信じ、火葬は忌避されており、土葬の習慣がある。日本もかつては土葬が中心だったが、平成の時代に激減。現在では99%以上が火葬とされる。ただ、法的には土葬が禁じられているわけではない。
ムスリム協会は18年12月ごろ、町の担当課と相談を始めた。ただ、当時の町長だった本田博文氏(71)が、土葬墓地の件を認識したのは、協議書が出された時だった。
県庁の職員を30年以上務め、16年9月に町長になった本田氏は、長い行政経験から「誰が経営するとか、土葬であるとかに関係なく、墓地を造るという話はいろんな意見が出るから、簡単にはいかないだろう」と直感的に思ったという。
本田氏は一つの方針を立てる。「これは条例に基づく許可申請だから、条例に基づいて判断するしかない」。墓地の経営許可などの事務は、県から市町村に権限が移譲されている。
条例では、墓地を造る予定地から110メートル以内に住む人や土地の所有者、その区の代表者らを「近隣住民」と規定し、説明会を開くことを定めている。
このため、ムスリム協会は20年2~7月にかけて計5回、「近隣住民」にあたる高平区の住民に説明会を開いた。
「日本に住んじょるんやから……」 根強い地元の反対で行き詰まり
住民の多くは、そのときに初めて計画の詳細を知った。同区出身の衛藤清隆町議(74)は当時の様子について、「みんな、『えー、そげな墓地ができるなんて、全然知らんぞ』と驚いた」と話す。
予定地の近くに池があり、すぐ下に同地区の水源地があった。水質が汚染されるのではないか、との懸念が指摘された。計画では埋葬数が100ほどあったことも、近隣住民を不安にさせた。同町によると、全国に土葬墓地は13あるが、これまで水質汚染の問題は発生していないという。
また、13ある土葬墓地のなかで、もっとも西にあるのが広島県のものだった。九州には一つもなかった。近隣住民からは「九州や全国から遺体が集まってくるのではないか」という声もあがった。
地元には、知らない宗教や文化への不安は漠然とあったという。数年前に廃校となった学校があったが、「別府のムスリム教会がもう古いけん、ここを礼拝所のようにするんじゃないか」とのうわさが出た。
衛藤氏は「どんどん人口が減ってきて空き家が増える。イスラム教徒が入ってくるんじゃないか、という心配はやっぱりあった」と偏見があったことを認める。
説明会は不調に終わった。その後、衛藤氏は高平区の代表ら3人と一緒に、別府ムスリム協会を訪れた。あきらめるよう説得するつもりだった。
「日本に住んじょるんやから、日本は99%火葬しよるんじゃけ、日本の習慣にしてくれんか」
ただ、ムスリム協会側からは、宗教上、火葬はタブー視されていることと、近くに墓地が無いため、本当に困っているという説明があったという。
衛藤氏が帰ろうとすると、ムスリム協会側は「ご飯を食べていきませんか」とカレーを振る舞ってくれた。雰囲気は和んだが、話し合いは平行線だった。
20年8月には、高平区と隣の目刈区から、土葬墓地開設反対の陳情書が提出され、同年12月、議会は賛成多数で採択した。話し合いは完全に行き詰まってしまった。
転機は翌21年の初夏のころ。広瀬勝貞知事(当時)が、高平区で地域おこしの活動を行う女性グループの視察に訪れた。昼食を取って帰ろうとした際、グループのメンバーが「困ったことがある」と土葬墓地を話題にした。そのとき、「墓地自体に反対ではないが、建設場所が心配なんだ」という趣旨の話をしたという。
本田氏はこの会話の内容を、県庁を通じて知った。「高平区は『絶対反対』という姿勢だったが、軟化したかもしれない」と思った。
粘った地域住民との対話 「それが私の仕事」
本田氏は、条例に基づいて判断する方針だったが、それを盾に地元の声を無視して押し切るのも難しいと思っていた。
地元が軟化したとみた本田氏は、改めて高平区の住民らと話し合いの場をもった。町職員には「我々は、仲介も説得もしない。中立の立場で話を聞くんだ」と言い聞かせた。
3回目の話し合いに、ムスリム協会を呼ぶことを提案。21年11月に実現した。その場で、高平区側から、ある提案がなされた。
「土葬墓地を造るのだったら、山のもっと上の方に昔、高平区が町に寄付した土地がある。そこにしてくれないか」
高平区側は、町有地となった別の場所なら受け入れる、と打診したのだ。ムスリム協会側も「そっちなら良いと言うのなら」と受け入れた。
最大の障壁が取り除かれ、両者の協議が建設を前提にしたものへと変わった瞬間だった。
本田氏は「絶対に反対と言っていた地域住民が、別の場所なら受け入れると譲歩した。そこまで変わってくれた。地域住民の願いや望みに、しっかりと答えていくのが私の仕事だった」と振り返る。
本田氏はここで、条例にはない申し出を両者に出す。両者で合意した内容を文書にしてほしい、と。
「墓地はずっと残る。合意したことを文書にしておかないと、墓地を造った時に生きていた人は知っているけど、後の時代になったら分からなくなる。将来にわたって残る文書があれば、住民は安心するだろう」
これも長い行政経験から出た知恵だった。
その後、高平区とムスリム協会は文書でやりとりを続け、23年5月に協定書を締結した。
①埋葬区画は79区画を超えない。墓地を拡張せず、新規の墓地は設置しない
②遺体を埋葬してから20年以上経過しないと、同じ区画に新たに埋葬しない
③九州各県に住所がある者の遺体のみ埋葬する
④年に1度、墓地の地下の水質検査を行い、高平区と日出町に提出する
⑤感染症による遺体などは法令にのっとり適切に処理
ムスリム協会が町に相談に来てから約4年半が過ぎていた。対立を乗り越え、時間をかけて話し合いを積み重ねてきたことが実った内容だった。
ところが――。
貼られたレッテル「土葬墓地推進派」 想定外だった反対の動き
双方が合意した町有地に近い…