写真・図版
「群衆の中でも目立つ、厳しい顔をしていた」と米津知子さん。自分まで壊してしまいそうな「破壊力」があったという=1970年

ウーマンリブの蜂起宣言

 高校卒業後、家業を手伝いながら新左翼運動に関わる。しかし何かが違う。1970年、27歳の時に書いたビラ「便所からの解放」は、ウーマンリブの蜂起宣言だった。

 日本でのウーマン・リブを牽引し、運動に新風を吹き込んだ田中美津(たなか・みつ)さん。8月7日、多臓器不全で亡くなりました。81歳でした。死を悼むとともに、関連の催しについてもお知らせします。

 母か性欲処理機=便所か。男により二つのイメージに引き裂かれるのではなく、精神も性も併せもつ「ここにいる女」として生きる闘い――。

 「嫌な男からおしりを触られたくないけれど、好きな男が触りたいと思うおしりは欲しい。大義と欲望どちらも大事というのがリブの新しさだった」と取材に語っていた。

 ともに活動した米津知子さん(75)は、寸劇や機関誌の企画などで見せた「とんでもないアイデア」で、日本のリブを面白くした、と回想。「世の中のひずみから受ける傷を強く感じ、ないことには絶対できない人。自分を解放するためにいろんなことを発想したんじゃないかな」

■女性を救い、自分を救う…

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