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西成特区構想を担当する大阪市特別顧問を務めた学習院大教授の鈴木亘さん=2024年6月10日、東京都豊島区、矢島大輔撮影
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 「長年にわたって問題が放置され、複雑に絡み合って蓄積してきた地域。まさにミッション・インポッシブルでした」

 学習院大教授(社会保障論)の鈴木亘さん(54)はそう振り返る。かつて西成特区構想を担う大阪市特別顧問を務めた。

 貧困、治安、環境、少子高齢化――。

 日本最大級の日雇い労働市場があり、様々な社会問題を抱える大阪・西成の釜ケ崎をどうするか。課題を改善し、まちを活性化させようとする市の構想がはじまって10年以上が経つ。

 上智大学を卒業後、日本銀行京都支店に配属されてまもなくの1995年、鈴木さんは上司に連れられ、初めて釜ケ崎を訪れた。

 バブル崩壊後の不景気だった時期。燃えさかるドラム缶があちこちにあり、ホームレスが炊き出しに行列をつくっていた。ただただ驚いた。

 「こういうところに来ないからホンマの景気がわからんのや」

 このときの上司の言葉が頭の片隅に残った。

 98年に日銀を退職し、社会保障、福祉の問題を経済学で解決しようと大阪大大学院に入学。ホームレスや生活保護受給者の実態を知るべく釜ケ崎に通い続けた。

 「人と金を使って、えこひいき政策をする」。2012年、橋下徹・大阪市長がそう宣言し、財政と人材を集中投入して特区構想がはじまった。

 その後、鈴木さんは思いがけず、大阪維新の会の幹部からリーダー役を打診された。

 政治や行政の経験はない。矢面で批判を受けるのは目に見えている。ただ、当初はホームレスの一掃など弱者排除につながらないかと懸念する住民や支援者が多く、実情をわかる人がやった方がよいと引き受けた。

 長年通ううちに知り合った釜ケ崎の「生き字引」ありむら潜さんのほか、まちづくり、ホームレス研究、労働経済、ソーシャルワークといった専門分野を持つエキスパートを集め、「7人の侍」を結成。

 行政や警察に対する住民側の根強い不信感を払拭(ふっしょく)するため、会議はフルオープンにこだわった。

 「府市あわせ(不幸せ)」と揶揄(やゆ)される大阪府と市の対立など、様々な壁が立ちはだかった。

 鈴木さんは「この地域はどん底の状態。お互いいがみ合っていても、このままでは共倒れする危機感は共通していた」と振り返る。

 反対の立場の人とも辛抱強く話し合い、「一歩一歩、ほふく前進」で着地点を探った。こだわったのは「全員参加のまちづくり」だ。

 2014年9月22日。35人の委員がメンバーとなった第1回「あいりん地域(釜ケ崎の行政用語)のまちづくり検討会議」の様子が動画投稿サイトに残っている。

 「現場に行ったことあるんか」「おまえらに何がわかるんだ」

 聴衆らも含め、二百数十人が集まった萩之茶屋小学校の講堂で、怒号が飛び交っていた。

 「ここには労働者団体の代表もいれば、町内会、支援者、子育ての代表もいれば、いろんな人がいます。オープンの場で話してもらっています」

 鈴木さんは会議を続けようと懸命に説得を続けた。その後、会議は6回を重ね、提案書は市長と府知事に手渡された。

 その後、住民投票を実施した大阪都構想の否決を受けて橋下市長が退任。鈴木さんも15年11月に大阪市特別顧問を退いた。

 「改革には強烈な反発もあり、誰かが責任をとらないといけなかった」

 不法投棄されたごみを回収する清掃業などでホームレスの雇用を生み、子育て世帯を呼び込もうと小中一貫校も新設した。

 あちこちにいた覚醒剤の密売人は姿を消し、治安も改善した。

 鈴木さんは成果を感じる一方で、特区構想の「第2の矢」として掲げていた経済活性化、人口流入がまだまだ進んでいない現状が気になっている。

 当時、活性化の目玉として考えていた、台湾やタイの夜市のような大規模な観光客向けの屋台村も実現していない。

 文教地区にして学生街をつくることも、増加する中国やベトナム人を巻き込むようなまちづくりもできていないように見える。

 鈴木さんは「国内外の人を呼び込める種が、この地域にはたくさんある」と話す。

 「リアル昭和」ともいえる面白さ、多種多様な人を受け入れる包容力、星野リゾートの進出が象徴する立地のよさ。

 まちの潜在力を信じているからこそ、もっとよさが伝わればと思っている。(矢島大輔、市原研吾)

西成特区構想とは 橋下徹元市長が提唱

 西成特区構想 西成区の活性化とイメージアップのため、大阪市長だった橋下徹氏が提唱した。野宿生活者の雇用創出や子育て世帯を呼び込む優遇策などを掲げ、特別予算をつけて2013年度から始めた。

 当時、橋下氏は大阪市を廃止して特別区に再編する「大阪都構想」の実現を目指しており、大阪市役所内には「西成区とほかの区との合併をスムーズに進めるため、橋下氏が特区構想を持ち出した」との声もあった。

 市は大阪府警や府とも連携し、西成区・釜ケ崎を中心に治安や環境の改善にも着手。通学路の安全対策として、釜ケ崎の路上の違法露店の取り締まりも強化した。

 5年ごとに計画は更新され、23年度から3期目に入った。大阪市はこれまで特区構想関連で157億円の予算を投じている。

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