能登半島の東側の海沿いを走り、石川県七尾市と穴水町をつなぐ「のと鉄道」。
その駅の一つ、能登中島駅(七尾市中島町)のすぐそばで、目的の坂道はすぐに見つかった。
見るからに傾斜がきつい。
日ごろの運動不足がたたり、上り始めてすぐに息が切れた。
坂の途中まで上り、振り返る。田んぼの向こうに海が見えた。今日の七尾湾は、いつも通り穏やかだ。
元日は違った、という。
とてつもない揺れに襲われ、津波から逃れるためにこの坂道を駆け上がった人たちの恐怖は、どれほどだっただろう。
元日の夕方、午後4時6分。
普通列車と観光列車を連結した2両編成の列車が能登中島駅に停車していた。
駅構内で保存され展示されている珍しい「郵便車」の見学を終えた乗客たちが、車内に戻ってきた。
最初の揺れが来たのはそのときだ。
「また珠洲かな」。観光列車の案内役を務める宮下左文(さふみ)さん(67)は、群発地震が続いていた珠洲市でまた地震があったのだろうと気の毒に思った。
揺れをふまえ、運転士はすぐに出発するのを見送った。
4分後、立っていられないほどの揺れが来た。立て続けに2回。
駅のすぐ先には、海がある。
乗員乗客48人は津波から逃れるため、列車から降り、高台をめざしてすぐ近くの坂道を上り始めた。
「瓦の下、ガラス窓の下に近づかないでください」。宮下さんは観光案内用につけていたヘッドセットマイクで呼びかけた。
坂道の中ごろで立ち止まって振り返ると、七尾湾に1本の横線が見えた。
「津波だ……」。方々から声が漏れた。
とにかく、上り続けた。
地元の人たちも高台をめざし、車で坂道を上ってきた。歩いて上るのがきつそうな高齢の乗客を、その人たちが車に乗せてくれた。
高台は高校の跡地で、いまはグラウンドになっている。そこにあった建物で身を寄せ合い、一晩を過ごした。
携帯電話の電波は通じず、水も出ない。
とても寒い日で、見上げると満天の星だった。
「つらいだろうが、話せるか?」
翌日、旅行会社の手配した車が乗客たちを迎えに来た。宮下さんたちは、のと鉄道の迎えの車で、社屋がある穴水駅まで戻った。
宮下さんの自宅は隣の輪島市にある。断片的に入る情報から、輪島朝市が焼失したことや、市街地にある7階建てのビルが倒壊したことを知った。一緒に乗務していた坂本藍さん(45)ら同じ方向の3人で車を連ね、輪島に向かった。
道路が裂け、波打ち、階段のような段差になっているところがあった。自動車教習所のS字カーブよりひどい道をゆっくり進んだ。
電柱が倒れ、土砂がなだれ込…