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被災したスタジオで、娘からプレゼントされたカメラを手に持つ高田陽一さん=2024年9月26日午後4時50分、石川県輪島市河井町、田辺拓也撮影
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 記録的な豪雨に見舞われた石川県の能登半島。元日の地震で自宅兼スタジオを被災し、6月に営業を再開したばかりの写真館「TAKADA PHOTO STUDIO」(輪島市河井町)も床上まで泥水につかった。

 21日午前6時ごろ。写真館の高田陽一さん(74)は屋根を打つ雨音で目を覚ました。自宅の外に出てみると、前を流れる河原田川の水位が「見たこともない速さ」で増している。川の三角州にある駐車場は水没し、車が海へと流されていく。危険を感じた陽一さんは妻の睦美さん(67)と近くの5階建てビルに避難した。

「バチなら1回でええやろ」

 水が引き始めた夕方、自宅へ戻った。スタジオの壁、腰ほどの高さには泥水の跡が残り、引き切らない水の上でカメラやレンズを保管する防湿庫がぷかぷかと浮いていた。ライティング用の機材も水没していた。

 「なんのバチがあたったか。バチなら1回でええやろ」

 重なる被災に嘆いた。

 豪雨から1週間を前にした26日。泥が乾き土ぼこりが舞う写真館で、電源の入らない泥まみれのカメラを拭く陽一さんの姿があった。

「娘からのプレゼントだったの」

 妻の睦美さんが代わりに言葉をつむいだ。

 カメラはデジタル一眼レフカメラの初期モデル「Nikon D2X」。2003年に写真館を開業した後、フィルムカメラを愛用する陽一さんへ次女が贈ったものだった。

「仕事で使う初めてのデジタルカメラだったんだ」

 仕事用にメインで使用していたカメラは、避難前に2階へ移動させ難を逃れた。

 「なんで、このカメラも(2階へ)あげられなかったのか。パニックだったのかな」

 視線はじっと、手元のカメラから動かなかった。

 陽一さんは2度目の再起を図る。

 「再開のめどは立たないが、やるしかない。やるしかないでしょ」

 言い聞かせるように、言葉を繰り返した。(田辺拓也)

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