東京混声合唱団(東混)の結成(1956年)をリードし、460曲もの日本人作曲家の新作を初演する一方で、プロ・アマチュアを問わず全国で合唱団を指導し、日本独自の合唱文化を築き上げてきた田中信昭さんが12日、96歳で亡くなった。10年前に田中さんから直接、東京混声合唱団の音楽監督のポジションを託された指揮者の山田和樹さん(45)が、合唱に懸けた田中さんの志を振り返る。

 杖も使わず、いつもの独特な足取りで、ほいっと跳ねるように指揮台へ。先月31日に開かれた、毎年恒例の東混の特別演奏会でお姿を見た時は、全く普通にお元気そうでした。僕はイギリスにいたので、リモートで拝見したのですが。

 「指揮も歌も、生きることは立つことから」とよく説かれていましたが、まさにその通りで、最後まで背骨からまっすぐ、そのまま天につながっているかのような、美しい立ち姿勢でした。

  • 日本の合唱指揮をリードした田中信昭さん死去、96歳 文化功労者

 100歳なんて楽々と超えて、人間としての最高年齢を記録しちゃうんじゃないかとすら思っていたので、本当に寂しい。でも、ここまで健やかに、最後まで現役を貫かれたということに、今は心より敬意を表します。

 田中先生がN響(NHK交響楽団)などで「第九」の合唱指導をするたび、百戦錬磨のプロの奏者たちが口々に、「あの人すごいね」と。響きが全く変わるんです。そんな田中マジックの秘密を知りたくて、先生に頼み込み、リハーサルにお邪魔させてもらったことがありました。

 1回目は気を遣い、僕にも優…

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