浜田律子さんの遺骨収集を手伝う清水藤子さん(左)=2024年3月、沖縄県糸満市、浜田哲二さん提供
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 「これは一体なんなんだ」

 沖縄で遺骨遺品収集と返還活動をするフリージャーナリストの浜田哲二さん(61)と律子さん(59)夫妻=青森県深浦町=が、そのブログを見つけたのは2017年だった。

 ブログは1964年に北海タイムス(廃刊)が全267回にわたり、北海道出身者の沖縄戦を描いた連載「あゝ沖縄」。約40万字にも及ぶ膨大な新聞スクラップを、筆者である故清水幸一さんの妻藤子さん(79)ら、北海道月形町の人たちが2年以上かけて作業し、ネットに掲載していた。

 沖縄戦で沖縄県民に次ぐ死者1万807人を数えた北海道。主力を担った第24師団には道民が多かった。連載には延べ1835人の兵士や民間人らが登場し、兵士の出身地や戦闘行動、死亡した場所など沖縄戦の詳細な戦闘記録が書かれていた。

大隊長から託された手紙356通

 そのころ浜田夫妻は、難題を抱えていた。第24師団歩兵第32連隊の第1大隊長・伊東孝一大尉から預かった手紙の返還だ。

 《皇国敗れたりといえども、同君の英霊は、必ずや更に偉大なる大日本帝国発足の礎となるものと確信しています》

 伊東大尉は敗戦翌年、沖縄の土とともに、部下の最期を伝える「わび状」を600人の遺族に送り、356通の返信を受け取っていたという。

 この手紙を世に出すことで「沖縄戦の真実を多くの人に伝えてほしい」。浜田夫妻は伊東大尉から生前、そう託されていた。

  • 連載267回に込めた記者の執念 道産子の沖縄戦「死に際を遺族へ」

 浜田夫妻は、公表の許可とと…

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