お笑い、司会、音楽、俳優――。マルチな才能を発揮し、テレビの表舞台で活躍するタレントの藤井隆さん(52)。活動の裏には、いつも支えてくれる誰かの存在があったといいます。精力的な活動の原点となる「みっつ」について、身ぶり手ぶりを交えて語ってくれました。
藤井隆さんの「みっつ」
①吉本新喜劇②「ナンダカンダ」③秋山菜津子さん
自分の名前が役名に
《小さい頃の夢は、お笑い芸人ではなかった。会社員を経て新喜劇の世界に》
子どもの頃は、CM監督やスチルカメラマン、広告の仕事に就きたいなと考えていました。将来自分がスタジオを持った時に「会計も自分でできた方がいいんじゃないか」と思い、商業高校へ。簿記などの資格を取り、就職活動でご縁のあった一般企業に入りました。
でも、心のどこかでスタジオを持つ夢が諦めきれなかったんです。そんな時に吉本新喜劇が若手の劇団員を募集しているのを知り、オーディションを受けて入りました。大阪に住んでいたので、新喜劇を見たことはあったんですけど、見続ける「ウォッチャー」ではなかった。
当時は同期が100人ぐらいと多くて。土日に演技や歌、踊りのレッスンがありました。大学に行っていなかったので、サークル感覚というか、同世代の人と集う楽しさがありました。
《1992年、吉本新喜劇に入団。舞台デビューはすぐに訪れることになる》
最初は会社員も続けていたのですが、ある時、オーディションで深夜番組のリポーターに選ばれて。吉本のスタッフさんが「ちゃんと考えなさい」と言ってくださり、吉本を選びました。今の自分が特別とは全く思っていないですけど、やっぱりテレビに出る仕事というのは、特殊な仕事。自分の将来を考える機会をいただきました。
会社員を辞めた次の週ぐらいから、吉本新喜劇の本出番に出させていただくことになりました。
最初の役は通行人。桑原(和男)さんが刑事役で、吉田(ヒロ)さんを犯人だと思って追いかける。桑原さんが張り込む姿を見て「変な人やなあ」と首をかしげる役。台詞(せりふ)はなかったです。
新喜劇が他の劇団と違うのは、自分の名前がそのまま役名になることです。自分じゃないけど、自分の名前で呼ばれながらお芝居をする。役名がない劇団っていうのは、僕の中では大きかったです。
漫才さんと落語家の方々の演目があった後、「トリ」と呼ばれるところに新喜劇が配置されている以上、やっぱりプライドもあります。新喜劇で最初に育ててもらったのは本当に感謝しています。他の劇団だったら、辞めてまた違う仕事をやっていたと思います。
昨年、島田珠代さんの芸歴35周年イベントで久しぶりに新喜劇に出ました。珠代さんは手を抜かないので、全員が燃えて、燃え尽きました。久しぶりだったので緊張しましたけど、うれしかったし光栄でした。
松本隆さんにつくってもらったアルバム
《新喜劇をきっかけにテレビ…