今年最後となる「びわ湖音楽祭」の実行委員のメンバーや加藤登紀子さん(中央)=2024年4月22日午後1時49分、大津市の滋賀県庁、林利香撮影
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 滋賀県民に長く歌い継がれる歌がある。「琵琶湖周航の歌」。大正時代、旧制三高水上部(現京都大ボート部)の部員たちがボートで琵琶湖をまわるなかで、立ち寄った地名や名所などが歌詞に登場する。この歌の誕生100年を記念し、2017年から開催されてきた「びわ湖音楽祭」が今年7月に幕を下ろすことになった。同祭をプロデュースしてきた歌手の加藤登紀子さんは「周航の歌には若者の未来が込められている。100年歌い継がれてきた歌を次の世代に渡したい」と話す。

 「♪われは湖(うみ)の子 さすらいの~」で始まる周航の歌は6番まである。歌詞には竹生島や彦根城などが描かれ、琵琶湖をはじめとした滋賀の情景が浮かぶ。多くの歌手にも歌われ、「第2の県歌」と称されるほど県民に愛されるご当地ソングだ。23年公開の映画「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて」にも登場した。

学生が歌詞に込めた未来

 周航の歌は、1917年、旧制三高水上部が琵琶湖をボートで回って鍛錬する「周航」の途中に寄った旧今津町(現滋賀県高島市)の宿で生まれた。作詞したのは、部員で長野県岡谷市出身の小口太郎。故郷の諏訪湖の情景に思いをはせたほか、周航先で歩いた町の様子などを歌詞にした。

 部員たちに歌詞を披露した際、当時学生の間で人気だった吉田千秋作曲の「ひつじぐさ」のメロディーに合わせ、みんなで歌ったのが始まりとされる。その後、京大ボート部で歌い継がれ、71年に加藤さんがカバーして大ヒットした。

 作詞した小口は東京帝国大学に進み、無線通信の分野で特許を取った。卒業後は東京帝大航空研究所で発明に励み、将来を期待されたが、26歳で死去した。吉田も24歳で病死している。

 「この歌ができたのは、大正デモクラシーのつかの間の平和な時代。学生たちが未来を探し、今を生きる感動を込めた貴重な歌」と加藤さん。「未来あるふたりが作り、若くして亡くなった。彼らの夢見た未来は何だったのかを想像し、ともに歌いたい」。そんな思いから実現したのが、びわ湖音楽祭だ。

 「歌と地域の人をつなごう」…

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