
2011年3月11日。その日を記録した写真集の1枚1枚にはすべて、撮影した時間が秒単位まで記されている。
岩手県大槌町の医師植田俊郎さん(70)は、震災前と、震災当日の写真、その後撮り続けた街の変化をまとめた本を13年に自費出版した。写真集には、避難所での医療活動で出会った人たちの集合写真なども多く収められている。
あくまでも自分の記録で、「卒業アルバムのようなもの」と話す。300部刷り、お世話になった人たちに配った。震災当日に撮影した写真に秒単位までの時間を記した。
それは、何が起こったかを正確に記録する大切さが自らの半生で身にしみていたからだ。
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あの日は午後の診療が2時から始まっていた。
自宅を兼ねた4階建てのビル2階の診療所で患者の血圧を測っていた午後2時46分、今まで経験したことのない長く大きな揺れが襲った。来院者やスタッフに帰宅を促し、具合が悪くなった近所のお年寄りを往診して診療所に戻った。
午後3時21分ごろ。「なんか(外に)水が見える」。妻の美智子さん(70)が言った。「まさか」と思いながら、屋上に駆け上がって周囲を見渡した。
すでに自分がいる診療所のビルは「こつぜんと海の中に立っている」状況だった。津波はビルの3階までのみ込んでいた。
黒い波が渦を巻き、家屋やがれきが流されていくのが見えた。不思議と音は聞こえず、静かだった。
登山用のロープを屋上の手すりに固定し、津波が屋上に達した時につかまって流されないように備えた。大学の山岳部員だった植田さんならではの安全策だった。
避難したスタッフや近所の人たち18人とともに翌日、自衛隊ヘリで救助されるまでビルで過ごした。
この間、ずっと写真を撮り続けた。山岳部で記録の大切さを知り、医者になってからも、カルテに患者の病状を克明に記し続けた。記録の重さを身にしみて学んでいた。
時を刻むように記録を続けた。
12日の朝早く、屋上から撮影した大槌の街がいまでも頭の中から離れない。静かで、がれきが浮かぶ湖のような光景だった。
避難した町の弓道場では、そ…