日本人野手で初めて米大リーグに挑戦したイチローさんは野球が持つ魅力を走攻守で示し、偉大な足跡を残した。2001年に渡米した当時、メジャーは通算762本塁打のバリー・ボンズらパワー隆盛の時代。体格で劣る日本人打者が通用するのか、懐疑的な目も向けられ「できるかどうかという議論もたくさんあった」と振り返ったが、卓越した打撃技術とスピードで評価を覆した。

 1年目にマリナーズで242安打を放つと、ここから10年連続で200安打以上、04年には大リーグ年間安打記録を84年ぶりに更新する262安打。守っても「レーザービーム」と呼ばれた強肩と広い守備範囲でゴールドグラブ賞に10年連続で選ばれ、盗塁数は史上35位の通算509。

 オールスター戦にも、01年から10年連続で出場した。ハイライトは07年。球宴史上初のランニング本塁打を放つなど3安打2打点と躍動し、日本選手で初めて最優秀選手を獲得した。

 27歳と遅いデビューながら、米野球史でも33人しか到達しておらず、殿堂入りの目安とされる3千安打の金字塔を打ち立てた。

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