被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が10日、ノーベル平和賞を受賞した。授賞理由は「核兵器は使われてはならない」という「核のタブー」を被爆証言を通じて世界に広げたことだった。体験を語ってきた被爆者と体験を聞いた若い世代に、思いを尋ねた。

  • 孤児になった被爆者が9年ぶりに証言 「胸が裂けるほどつらかった」
香川医療生協の若手職員を前に被爆証言をする長尾昭雄さん=2024年11月29日午前10時44分、高松市藤塚町2丁目、武田肇撮影

 「汚い話をします。お許し下さい」

 年10回ほど被爆体験を語っている長尾昭雄さん(95)=香川県三木町=は、いつも途中で聞き手にこんな「おことわり」をする。その後、息をついてこう語る。

 「出血多量で肛門(こうもん)が開いて、大便がずるずると出てしまいました。もうこのまま死ぬんじゃないかと思いました」

 「血で汚れたシャツ、大便で汚れたパンツを脱いで、すっぽんぽんのままトラックに乗りました」

 証言の中心は、1945年8月6日朝、爆心地から約1・8キロの県立広島工業学校の講堂で被爆し、奇跡的に命をつないだ経緯だ。

記事の後半では、高校野球部の監督の勧めで被爆証言を聞いた元エースの思いを紹介しています。

証言を始めたのは80歳を過ぎてから

 学校にいた70人のうちで生…

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