戸畑高校で「再発見」された名護屋岬古墳群の石組。清掃する前は、土に埋もれていた=2024年5月15日、竹内英雄さん提供
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 88年前に北九州市戸畑区の「名護屋岬古墳群」で出土し、後に所在不明となっていた石組が、地元の高校で「再発見」された。古墳群に関する記事を見た卒業生らが調査、確認した。かつて出土品を収集していた高校は多く、貴重な品が見つかる例は多いという。

 名護屋岬は日本書紀にも登場する北九州でもっとも古いとされる地名。北九州市史によると、古墳群は6世紀後半~末ごろ築造とみられる横穴式石室3基からなる。1936年、八幡製鉄所の拡張工事中に発見された。

 出土した石組や人骨、勾玉(まがたま)などの副葬品はその後所在不明となったが、2021年、頭骨3点が同区の寺にあることが戸畑郷土史会事務局長の竹内英雄さん(56)らの調査で確認された。しかし、市内3高校に1基ずつ寄贈したとされる石組は竹内さんが各高校に問い合わせても、「心当たりがない」との返答だった。

 頭骨再発見の本紙記事を見た、吉野ケ里公園管理センター(佐賀県吉野ケ里町)歴史専門員の森田孝志さん(69)は、1基分の石組は母校の県立戸畑高校にあると考えた。在籍時、考古学などを研究する「社会部」で活動しており、敷地内にあったと記憶していたからだ。

 「校舎建て替え時に失われた…

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