
一夜にして約10万人の命が奪われた東京大空襲から80年となった10日、東京の各地で追悼行事が行われた。体験者や遺族らが手を合わせ、犠牲者を悼んだ。
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約10万5千人の遺骨が眠る東京都墨田区の都慰霊堂では、犠牲者を悼む「春季慰霊大法要」があり、秋篠宮ご夫妻や遺族ら約160人が参列した。高齢の空襲体験者らも訪れ、花を手向けた。
東京都新宿区の内田和江さん(87)は、遺族代表の一人として焼香した。当時は7歳の国民学校1年生。1945年3月10日の未明、警報が鳴ると両親と一緒に火の粉が飛び交う町を逃げ惑った。父親と自身は、大やけどを負った。
焼け跡で見かけた、子どもを抱いたまま息絶えた母親の遺体が忘れられない。今でも空襲の夢を見ては寝汗をかき、夕焼けを見ると炎で真っ赤に染まった夜空を思い出して動悸(どうき)が激しくなる。
法要中は終始、手を合わせ続けていた。「空襲の時の光景がどんどんふくらんで胸が苦しくなって……」。言葉を詰まらせた。
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