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71年前の3月1日、米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験をし、マグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)した。その「ビキニデー」を前に、広島市で第五福竜丸展示館(東京)の学芸員、市田真理さんが講演。ほかにも多くの漁船が「死の灰」を浴びたことや、現地住民の健康被害の大きさを訴えた。
1954年の水爆実験では、第五福竜丸以外にも多数の日本の漁船や貨物船の乗組員が「死の灰」と呼ばれる放射性降下物を浴びた。船体や魚から放射線が検出され、この年、のべ992隻の漁船がマグロを処分した。
市田さんは講演で、当時はこうした「原子マグロ」「原爆マグロ」に日本中がパニックに陥ったと説明。「当時の動物性たんぱく源といえば魚だった」と反響が大きかった理由を話し、原水爆禁止運動の大きなうねりにつながったと解説した。
米国の太平洋での核実験は、広島・長崎への原爆投下の翌年にあたる46年に始まっていた。市田さんは乗組員だけでなく、実験場となったマーシャル諸島の住民にも深刻な健康被害が出ている現状に触れ、「私は『第五福竜丸事件』と呼ぶことを拒否する」と話し、事件が矮小(わいしょう)化されていると指摘した。
米ネバダ州、カザフスタン、北極圏、オーストラリア、キリバス、アルジェリア、仏領ポリネシア、中国新疆ウイグル自治区など世界各地で核実験は2千回以上繰り返されている。市田さんは「核実験では必ず被害者が生まれる。誰かを被曝させないと造れない兵器に正義はない」と訴えた。
講演会は2月22日にあり、原水爆禁止広島県協議会(県原水協)が主催。約90人が参加した。