1989年11月12日、ポツダム広場にある検問所を越えてきた車や歩行者を迎える、西ベルリン市民ら=ロタール・クルーゼ氏撮影、ベルリンの壁財団提供

 東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」の崩壊から9日で35年を迎えた。社会主義の独裁政権下にあった旧東ドイツの市民は言論や移動の自由を手に入れた一方で、今も消えない問題はある。あの日、歴史を目撃した人々が記者に語った、「分断の壁」が倒れた意味とは――。

 1989年11月9日、民主活動家だったウォルフラム・セロさん(67)は旧東ベルリンのビルの地下にあった活動拠点で、仲間3人と一緒に、独裁政権の問題や民主化を訴える地下新聞の発刊作業をしていた。

 夜に作業室でつけていたテレビ番組が流した、旧東独当局の発表に目が行った。西側への旅行が自由化されるという内容だった。テレビは、「壁も一夜のうちに越えられるようになるだろう」と伝えた。隣のカフェにいた仲間に知らせようと走ったが、「まさか誰もその日に壁が崩壊すると思わなかった」。だから、新聞発刊のため作業室に戻った。

旧東独時代「絶望しかなかった」

 だが、ニュースをみた多くの…

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