震災の犠牲者を追悼し、記憶を継承するイルミネーション「神戸ルミナリエ」の前に立つ佐々木美穂子さん=2001年、神戸市中央区、本人提供

 1995年1月17日。真冬の早朝におきた阪神・淡路大震災では6434人が犠牲になった。あれから30年。国内では地震や火山の噴火が頻発している。遠く離れた北海道に住む私たちは、30年前の大災害から何を学び、何に備えるべきか。あの経験をいまに生かす人々の歩みを追った。

 昨年、制定された「火山防災の日」がいつかをご存じだろうか。

 正解は8月26日。この日、東京で開かれた政府主催の記念イベントに、佐々木美穂子さん(47)は北海道から参加した。

 148.5センチと小柄な体で、元気な声。自らの「洞爺湖有珠火山マイスター」という仕事を熱く紹介した。

 住まいは国内有数の活火山、有珠山に近い豊浦町。「火山との共生」が求められるこの町で、火山に関する正しい知識を学び、次世代に伝える。

 直近の噴火は2000年で、移住前だった佐々木さんは未経験だ。なぜマイスターの仕事を? 問われると、こう答える。

 「17歳のとき、兵庫県伊丹市にいて阪神・淡路大震災に遭ったんです」

 当時は、親元を離れて一人暮らしのフリーター。1995年1月17日午前5時46分。賃貸マンションの2階で寝ていたところ、どーんという縦揺れで目が覚めた。布団の脇には台から落ちたテレビが転がっていた。停電で部屋は真っ暗。外に飛び出すと、向かいの市場やお店の内部はぐちゃぐちゃ。暗闇で消防車や救急車のサイレンだけが鳴り響いていた。

 自転車でバイト先の牛丼店「…

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