
宮城県南三陸町の町役場で9日、東日本大震災で死亡・行方不明になった町職員39人の慰霊碑の除幕式があった。39人のうち33人は、町の3階建て防災対策庁舎で災害対応にあたっており、避難した屋上で15メートル超の津波にのまれた。庁舎で生き残った元職員らが碑の建立に動き、14年後にようやく仲間の名を刻めた。
碑文には「あの日を忘れない」とある。じっと見つめる遺族の姿が多数あった。
三浦ひろみさん(65)の夫、毅さん(当時51)は震災当日、危機管理課の同僚と2人、防災無線で「高台に避難を」と町民への呼びかけを最後まで続け、犠牲になった。
「夫は正義感の強い人だった。後輩の職員の方々はこの碑を見て、自分の命を守ることを忘れず、防災・減災に努めてほしい」と話した。
井上彩さん(33)は、総務課員だった兄翼(たすく)さん(当時23)を亡くした。翼さんは入庁してまだ1年足らずだった。
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彩さんは、兄の分もがんばら…