アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さん

 「パレスチナから問う」という特集タイトルの「現代思想」2月号に寄稿された、保井啓志さんの論文を繰り返し読んでいる。タイトルは「『我々は人間動物と戦っているのだ』をどのように理解すればよいのか」。

 西洋がどのような道筋である特定の人々を「動物」とみなし人間性を剥奪(はくだつ)してきたかということが説明されている。そもそも動物という言葉は、人間に劣る存在の総称として対比的に用いられてきたのだという。そうした言葉やイメージを人間に使うことで、人間以下の扱いが様々な場所で行われてきた。植民地や入植先で行われた非人間的な扱いは、こうした考え方がもとになっていて、現在のパレスチナでも行われているという指摘には心が痛む。論文の冒頭で取り上げられた、イスラエルのガラント国防相が2023年10月9日に出した声明の「我々は人間動物と戦っているのだ」という一節は何度読んでも暗い気持ちになる。こうした言葉が、アラブ人やパレスチナ人に対して、繰り返し使われてきたという史実が胸に重たく響いた。

 私たちは無関係だろうか。論文のなかでは、難民の扱いにも焦点が当てられている。国家の外側に存在する人々に人間としての権利を与えず、主体や人間として認めないこと、これこそが最も苛烈(かれつ)な暴力だという文章を読んだ後に思い浮かべたのは、本邦における難民や在日外国人たちへの排他的な扱いだった。また、西洋の歴史上の人物の扮装をして、人間による類人猿への啓蒙(けいもう)や使役が無邪気に描かれたミュージックビデオについての騒動のことも考えた。こうした企画が通る社会の一員であることを真摯(しんし)に受け止めたい。

 論文は「人間性の剥奪」こそが、近代国家が自身の戦争を正当化する際の基本論理であると結ばれていた。こうした論理の先にある様々な暴力が私たちの生活にどう繋(つな)がっているのか、真剣に考えたいと思った。(ミュージシャン)

 ◇毎月第4日曜日に掲載します。

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