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自らの障害や半生を語る桂福点さん=2024年10月21日午後1時35分、鳥取市立浜坂小学校、富田祥広撮影
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 みなさんにお願いがあります。いろんな人と友だちになってほしい。障害のある人、外国の人、さまざまな性の人。友だちになったら、その人の気持ちをわかろうと思うやろ? これ、大事やで――。両目が見えない落語家は、小学生たちに熱く語りかけた。

 「こんにちはー。生きてるかーっ。手ぇあげても見えんから、拍手で返事してなー」

「あぁ、落語をやりたい」

 桂福点(ふくてん)さん(56)の呼びかけに、約110人の小学6年生が大きな拍手をホールに響かせた。

 10月21日、鳥取市立浜坂小学校。小6のキャリア教育・道徳教育の講演会に招かれた福点さんが児童たちに向き合った。

 兵庫県川西市生まれ。先天性緑内障で生後すぐに手術をしたが右目の視力を失い、左目も盲学校高等部の時に見えなくなった。進学した大阪芸術大では演劇や音楽、落語に親しみ、卒業後は音楽療法を研究しながらバンド活動にも取り組んだ。

 26歳、冬の早朝。大阪市の自宅マンションでひとり寝ていて、突然の地鳴りに跳ね起きた。物が落ち、ガラスが割れた。音と気配だけで、すさまじい被害を感じ取った。

 1995年1月17日、阪神・淡路大震災。揺れの直後から、カタッという小さな音にも恐怖を感じ、動くのが難しくなった。ストレスが限界を超えたある日、ついに倒れてしまい、病院に連れて行かれた。

 通っていた病院でリハビリを兼ねて音楽やコントを披露した時のこと。患者や医師らの笑い声を聞き、思いがこみあげてきた。「笑いって、ええなあ」。幼い頃、テレビで見聞きしていた落語が大好きだった。「あぁ、落語をやりたい」

 震災の翌年、知人の紹介で桂福団治さんの門をたたいた。

 「福団治の10番目の弟子やから『ふくテン』。もし2番目の弟子やったら『ふくツー』になっとったな。盲腸みたいなもんや」。少し間があり、児童たちが「あー!」と沸いた。「腹痛か!」

 デビューは2009年、41歳の時だ。入門から13年かかった。「目が悪いからアカンっていう人がいて、劇場にもなかなか出られんかった。そんな時に力を貸してくれたのが、この人やねん」

力を貸してくれた鶴瓶師匠

 大型スクリーンに映し出され…

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