街のランドマークとして親しまれてきたシーサイドボウル高松=2024年5月14日午前11時55分、高松市浜ノ町、和田翔太撮影
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 客船を連想させる円窓が並ぶビルの上に、ボウリングのピン。

 そんな特徴的な外観から、高松市のランドマークとして親しまれてきたボウリング場「シーサイドボウル高松」が6月28日に閉店する。

 現存するボウリング場では四国有数の長い歴史を持ち、中高年のボウラーから惜しむ声が上がっている。

 瀬戸内海に面した浜ノ町で、1972年2月に開店した。中山律子プロの活躍などでボウリングの一大ブームが起きていた。

 地上3階建てで、2階と3階に合わせて36レーンを備える。1階にはクレーンゲームや格闘ゲーム、ビリヤードなどアミューズメント施設が入る。

 運営するオータックスの太田英夫社長(61)によると、バブル景気の余韻が残っていた90年代初頭、平日の昼間でも全レーンが埋まるほどの盛況ぶりだった。中高生から家族連れまで多くの人たちでにぎわった。

 その後、娯楽が多様化した影響で利用客が伸び悩み、コロナ禍で低迷に拍車がかかった。売り上げは、ピークだった開業直後の2割ほどまで落ち込んでいたという。

 「常連さんには申し訳ないがこれ以上続けていても採算がとれない。どこかで決断しないといけなかった」と太田社長は語る。

全国的に閉店が相次いでいるボウリング場。生き残る道はないのか、記事の後半では、専門家に意見を聞きました。

利用客は8割ほどが60~70代

 太田社長は2010年ごろに、創業者である父・英章さんから経営を引き継いだ。

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