インターハイ出場が自慢だった父

 いまはだいぶ雰囲気が変わっていると思うが、私が子どもの頃、音楽は女子がするものという考え方が強かった。昭和ひとケタ生まれの父も、男子は男子らしくという当時の平均的な思想の中にいたと思う。

 学生時代の父はやり投げの選手で、インターハイに出場したことが自慢だった。だから、息子の私にもスポーツマンのDNAが備わっていると期待しても不思議ではない。茶の間にはジャイアンツの野球中継が流れているのが定番だったし、長嶋茂雄さんの大ファンだった父が私に野球をさせたがったのは当然の成りゆきと言える。

 父のつかの間の休日、名神高速道路の高架下がお決まりの会場となり、キャッチボールの特訓が始まる。私はというとグラブを右手にはめてしまうほど野球に全く関心がなく、小さな球が鼻先に飛んでくるのが怖くて仕方がない。ボールを受け止めるどころか逃げ回ってばかりいた。

信長さんが、恥ずかしさから文化祭のステージから逃げ出してしまった中学時代など子どもの頃の音楽の思い出を振り返ります。

 おかげで逃げ足は速くなった…

共有
Exit mobile version