能登半島地震発生時を振り返る石川県警の吉本健一郎警視=2025年2月17日、金沢市、金居達朗撮影

 昨年元日の能登半島地震について、石川県警が警察官やその家族らの手記集を編み、ホームページで公表している。手記を寄せた114人のうち、遺体を確認する「検視」を県警本部から指揮した警視に、発災時の経験を聞いた。

「出番がなければいい」願いつつ、県警本部へ

 《どれだけ科学技術が進歩しても、非常時に一番必要なものは「マンパワー」》

 捜査1課の検視官室長だった吉本健一郎警視(53)=現・捜査1課次席=は、手記にそう書いた。

 県内を最大震度7の揺れが襲った元日、吉本警視は金沢市内の自宅にいた。

 検視は、人が亡くなって初めて生じる手続き。「出番がなければいい」と願いつつ、水と着替えを持って県警本部に向かった。

 金沢市内にも津波警報が出ていた。金沢港から南東約2キロにある8階建ての県警本部には、多くの住民が避難していた。

写真を手に能登半島地震発生時を振り返る石川県警の吉本健一郎警視=2025年2月17日、金沢市、金居達朗撮影

 事務室に着席し、すぐに24人を集めた。

 過去、震災の現場には2度出動した。1995年の阪神・淡路大震災では救助隊員、2011年の東日本大震災では検視の補助隊員として。被災地では、検視だけでなく、遺体の搬送や遺体安置所の警備にも人員が必要だと知っていた。

 地震の発生は午後4時10分。奥能登方面の道路は崩落していて、暗くなると移動に危険がある。この日は救助隊の投入を優先し、検視隊員の派遣は見送った。

深刻な人員不足、検視官も担架を…

 翌2日夕方、陸路と空路で検視隊員が現地に入ると、厳しい状況が伝えられた。

 遺体安置所になるような建物の候補はあったが、その多くが被災していた。無事だった建物には避難者が集まっていた。

 地元の警察署に電話を入れて…

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