2011年3月11日に起きた東日本大震災は、柏原重海町長(当時)の「原発による町づくり」を揺るがした。
2年前に始まりながら、反対運動のために中断した中国電力による原発の準備工事は、再開のめどが立たなくなった。1982年に浮上した原発計画は、宙に浮いた。
同時に、電源三法にもとづき国から町に入る交付金や補助金も細っていく。11~12年度に10億円台だった交付金額は、13年度以降は8千万円前後で推移した。
柏原氏は、原発建設の見返りを当てにした町づくりの見直しを迫られた。試行錯誤が始まった。
「地域ビジョン検討会」。震…