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東日本大震災の5日後、上関町議会で犠牲者を悼んで黙禱(もくとう)する柏原重海町長(右手前)ら=2011年3月16日午前9時4分、山口県上関町、渡邊純子撮影
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 2011年3月11日に起きた東日本大震災は、柏原重海町長(当時)の「原発による町づくり」を揺るがした。

 2年前に始まりながら、反対運動のために中断した中国電力による原発の準備工事は、再開のめどが立たなくなった。1982年に浮上した原発計画は、宙に浮いた。

 同時に、電源三法にもとづき国から町に入る交付金や補助金も細っていく。11~12年度に10億円台だった交付金額は、13年度以降は8千万円前後で推移した。

 柏原氏は、原発建設の見返りを当てにした町づくりの見直しを迫られた。試行錯誤が始まった。

 「地域ビジョン検討会」。震…

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