新潟県中部を最大震度7の揺れが襲った新潟県中越地震から20年。犠牲者の多くは精神的なストレスや疲労が重なったことによる「災害関連死」だった。地震の難を逃れたにもかかわらず、避難生活によって奪われる命への対策は十分に進んだのか。当時から今も被災地の支援にあたる新潟大の榛沢(はんざわ)和彦特任教授(心臓血管外科)に聞いた。(矢田文、グラフィック=米澤章憲)

中越地震の教訓「災害関連死」とは

 新潟県中越地震は2004年10月23日午後5時56分に発生した。県中部の山間地域を中心に強い揺れに見舞われ、国内では1995年の阪神・淡路大震災以来となる最大震度7を観測した。

 中越地震は、災害後の生活環境や支援不足による間接的な死のリスクを浮き彫りにした。犠牲者68人のうち建物の倒壊など揺れによる直接死は16人、一方で7割以上の52人は災害関連死だった。

 「エコノミークラス症候群」も問題になった。狭い空間で長時間動かずに座り続けることで足の静脈に血栓ができる。血栓が血流にのって肺に移動すると動脈に詰まる肺塞栓(そくせん)症を引き起こし、呼吸困難や突然死に至ることもある。

 中越地震では、約1万7千棟の家屋が全半壊し、一部破損は10万棟に及んだ。多いときには10万人を超える住民が避難生活を余儀なくされた。

 新潟大の病院に勤務していた榛沢さんは、搬送されてきたエコノミークラス症候群の患者をみて、被災地で多発していることを危惧。避難所をまわり検診を行った。

 榛沢さんによると、中越地震では車中泊をしていた少なくとも7人が血栓が原因で命を落としている。「避難所の生活や車中泊が健康リスクを大きく高めることに気づいた」と言い、さまざまな被災地で医療支援を続けている。

 いまも災害関連死は大きな課題として残り続けている。

■今も犠牲者の多くを占める防…

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