国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」(熊本県合志市)は24日、第2次大戦中から戦後にかけて開発中の薬を入所者に投与する試験が繰り返され、激しい副作用や死亡例が出た後も、医師らは中止する判断をとらなかったとする調査報告書を公表した。「当時の医師らの医療倫理のありかたに疑問が持たれる」としている。
- 【そもそも解説】ハンセン病とは 戦後も続いた差別的な「絶対隔離」
実施から80年以上が過ぎ、人権が尊重されていない園内での入所者の処遇の一端が明らかになった。
臨床試験の存在は以前から指摘されていた。恵楓園の歴史資料館で関連資料の整理が進み、2022年に臨床試験の実態の一部が熊本日日新聞と京都新聞で報道されたことから、現在の入所者自治会が園に詳細な調査を求め、今回の報告書に結びついた。
薬剤は「虹波(こうは)」。報告書によると、感光色素であるクリプトシアニンを成分とした薬剤で、旧陸軍が凍傷ややけどの治療など寒冷地での作戦への応用に着目し、熊本医科大(現・熊本大医学部)の波多野輔久教授に研究を委託した。結核患者で回復例があったため、結核菌と近縁の「らい菌」に治療への効果が期待された。園の宮崎松記園長(当時)も研究に加わり、1942(昭和17)年12月から臨床試験が始まった。
報告書によると、試験を受けたのは、少なくとも472人。6歳の子どもも含まれている。初期には当時の全入所者の3分の1を占める大規模な試験だった。
投与中に9人が死亡。うち7人は肺結核や急性肺炎、出血性黄疸(おうだん)などが死因で、残る2人は虹波による死亡が疑われるとしている。
内服や皮下注射、皮膚に塗るだけでなく様々な方法が試され、副作用については、倦怠(けんたい)感、知覚異常、発疹、吐き気などの訴えがあった。
入所者は43年以降、臨床試験への抵抗を示すようになったが、園での投与は47年ごろまで続けられた。
報告書は、入所者に十分な説明がなされなかった▽医師への遠慮で試験参加の拒否を訴えることができなかった▽薬剤の効果について正直な感想を入所者が述べることができなかった▽副作用について何らの補償もなされなかった▽実施にあたり病理学・薬理学的な根拠が不足していた――など9項目を問題点として指摘する。
これらの臨床試験について…