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四国村の開村式の様子。(左から)加藤達雄、猪熊文子、瀬戸内寂聴、猪熊弦一郎、流政之の5氏=1976年10月3日、四国村ミウゼアム提供
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 甲子園球場よりも広い敷地に、四国各地の古民家や産業遺産を移築・展示する「四国村ミウゼアム」(高松市)が、来年で開村50年を迎える。

 物流や電子機器製造のカトーレック(本社・東京)の創業者、故・加藤達雄氏が私財を投じて開いたという点でも、ユニークな野外博物館だ。

 氏の志を継ぐ同社が「メセナ大賞」を受賞したのを機に、加藤英輔社長(70)に話を聞いた。

 ――加藤社長の父・達雄氏はなぜ四国村を開いたのでしょうか

 開村前年の1975年、父は年を重ねたり足腰を痛めたりした従業員の第二の職場として、うどん店「わら家」を開きました。その店舗として移築した徳島県・祖谷地方の古民家のかやぶき屋根に魅せられたことを機に、四国の古民家の収集・保存に力を入れ始めました。

 私も、民家を譲ってもらうために徳島の山奥に赴く両親に同行したことがあります。電気が通っておらず、日が暮れると真っ暗に。月明かりを頼りに歩いて帰ったことを覚えています。

開村式に徳島出身の作家、瀬戸内寂聴さんも駆けつけた野外博物館「四国村ミウゼアム」が来年50年を迎えます。記事の後半では、財政支援を続けるカトーレックの加藤社長が民俗学者、柳田国男の考え方に触れながら、存在意義を語っています。

 ――公益財団法人四国民家博…

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