写真・図版
千田嘉博さん(左)と平山優さん=東京・築地の朝日新聞東京本社、塚本和人撮影
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版

 「鉄砲対騎馬の戦い」といわれる信長・家康連合軍と武田軍による長篠合戦で勝敗を分けたのは、実は経済格差だった――。城郭考古学者の千田嘉博さんと、甲斐武田氏の研究などで知られる歴史学者の平山優さんの対談をまとめた「戦国時代を変えた合戦と城」が、朝日新書(朝日新聞出版)から刊行された。戦国時代の著名な合戦や城郭構造などの通説に切り込み、分かりやすく解説している。

 名古屋市立大高等教育院教授で奈良大学特別教授を務める千田さんは1963年生まれ。健康科学大特任教授の平山さんは1964年生まれで、2人は同じ学年だった。遺跡や遺物などモノから歴史を考える「考古学」と、文献史料から考える「歴史学」という学問の立場が異なる研究者でありながら、20代のころから交流を続け、お互いに刺激を与え合ってきた。

 一昨年初め、2人は戦国時代の全体像を立場の異なる研究者の視点から捉え直すことで意気投合。その後、対談を重ねて書籍化することになった。

 着目したのは、近年、研究が著しく進んでいる徳川家康。家康の関わった城と合戦について12のテーマを設定し、約1年間にわたって断続的にオンライン対談を重ねてきた。今回の新書はその一連の対談をまとめ、さらにテーマごとに2人が分担執筆した解説も追記された。

 主なテーマは、桶狭間合戦と大高城▽三方原合戦と徳川方の諸城▽長篠合戦と武田・徳川の城▽駿府城の考察▽江戸城と城下の整備▽関ケ原合戦と徳川の城▽大坂の陣と両軍の城――など。教科書の通説だけでは歴史の実像が捉えられないことが、この対談からうかがえる内容となっている。

 千田さんは「城郭や戦国研究には考古学、文献史学、歴史地理学、建築史学など複数の学問分野を横断した『総合知』が不可欠」と言い、「従来の考古学、文献史学だけでは見えないところがあり、今回の対談を通じて足りなかった部分を補うことができた」と話す。

 平山さんも「今回の考古学者との対談では、議論がかみ合っているかどうか緊張感があった。私自身が現地に行ってみなければ分からないと考えて現場を歩いている人間なので、考古学者とうまく議論をかみ合わせることができた。本当に幸運なコラボでした」と振り返る。

 新書は448ページ。税込み1400円。全国の書店で発売中。

朝日新書「戦国時代を変えた合戦と城」のうち、三つのテーマを簡単に紹介していく。

長篠の合戦 資源争奪戦が背景?

 1575(天正3)年に三河国設楽原(したらがはら)で、織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼軍が激突した戦国時代を代表する戦いの一つだ。

 連合軍は馬の侵入を防ぐための「馬防柵(ばぼうさく)」を組み、その内側から大量の鉄砲隊が武田の騎馬隊に一斉射撃し、壊滅的な打撃をあたえたとされる。その後の合戦が、鉄砲を組織的に用いた鉄砲主体の戦法に転換する画期となったと位置付けられている。

 平山さんによれば、連合軍は馬防柵の内側に3千~1千挺(ちょう)を持った鉄砲衆とそれを支援する弓衆を配置し、信長は味方の数を少なく見せるためにくぼ地に大軍を待機させ、逐次、合戦場に投入した。武田軍も鉄砲衆を保持していたが、弾薬の備蓄に乏しかったとみられ、騎馬隊は物量に勝る連合軍からの間断なき射撃を受け、自軍からの鉄砲の援護射撃のない中を突撃せざるをえなかったという。

 長篠合戦の構図について、平…

共有