兵庫県西宮市の夙川小学校で、17日、阪神・淡路大震災の追悼集会が開かれた。震災で亡くなった児童の担任教諭や当時の校長の手記の朗読で、当時の様子が伝えられた。「亡くなった方々のために、今自分には何ができるのでしょうか」といった言葉に聴き入っていた。
手記は1995年1月の震災から1年後に発行された同校の記録集に掲載されていたものだ。「心のふれあい」という題で、先生や児童らが当時の出来事を記録した。
校区内では55人が犠牲になり、そのうち2人が同校の児童だった。
激震地で、倒壊家屋や傾いたマンション、生き埋めになっている人がいた。地震発生直後から、自宅が全半壊した人たち、不安になった人たちが学校に避難してきた。
体育館が避難所になり、先生たちがけがをした人の消毒をしたり、届いたパンや水を分けたりした。すぐに体育館はあふれ、校舎も避難所になった。避難者名簿も先生たちが作った。
体調が悪い人は、暖房が使えた保健室と会議室に入って休んでもらった。医師がかけつけ、校長室を臨時の病室として、診療にあたった。40度の高熱を出している人や虫垂炎の疑いがある人もいた。校長も3日間不眠不休で救護にあたった。
トイレは1日でつまり、先生…