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昨年元日に起きた能登半島地震をめぐり、石川県警は発災後の対応にあたった警察官らの手記を公表した。住民の命を救い、つなごうとした114人。その経験と思いを後世に残し、追体験してもらうことで、次の災害に備えたいという。手記を寄せた警察官に、当時の記憶を聞いた。
実家で被災…署への電話はつながらなかった
《私が命ぜられたのは、「門前町地区での遺体安置所を開設すること」でした》
手記にそうつづった30代の男性巡査長は、2024年の元日、輪島市門前町の実家に帰省していた。
大きな揺れが収まった後、倒れた家財を乗り越え、外に出た。
周囲の家屋は4割ほどがつぶれているように見えた。
家族にけがはない。勤務する輪島署までは直線で約15キロ。行かなければと思ったが、実家のある地区から外に出る橋には1メートルほどの段差ができ、車が通れない。電話もつながらない。
地区の住民たちと一緒に一軒一軒声かけをし、倒壊した家屋から高齢の女性を助け出した。
夜10時すぎ、ようやく署と電話がつながり、途切れ途切れの通話のなかで自らの無事だけを報告した。その日は車中で夜を明かした。
「このような形で再会するとは…」
翌2日朝、近くに住む先輩警察官から電話で指令を受けた。
「遺体安置所を開設するから、どうにかして門前交番まで来てほしい」
橋にできていた1メートルほ…