• 写真・図版

 水俣病の公式確認から5月1日で68年。患者たちが高齢化し、様々なサポートが必要になっているが、加害企業チッソによる補償の枠組みは半世紀前にできたもので、ほころびが目立つ。現場から改善を求める声が上がっている。

 熊本県水俣市の住宅街にあるケアホーム「おるげ・のあ」で、胎児性患者ら5人が暮らす。

 各部屋にはシャワー、トイレ、台所があり、「ほぼ一人暮らし」の環境が整う。患者支援を続ける社会福祉法人さかえの杜(もり)により2014年に国や県の補助を受けて開設された。

 母親の胎内で有機水銀の被害を受け、生まれながらに重度の障害を負った。プライバシーがあまりない施設などでの暮らしを幼い頃から強いられてきた患者にとって、終(つい)のすみかでの「自立した生活」は切実な願い。それに近づけたのが、水俣の方言から「自分の家」という意味で名付けた「おるげ・のあ」だ。

 車いす生活が続く胎児性患者の金子雄二さん(68)は開所から1室で暮らす。だが2年前、危機が訪れた。

 誤嚥(ごえん)性肺炎で入院…

共有