ドラマ「燕は戻ってこない」で、代理出産を依頼する草桶基(稲垣吾郎、左)と代理母の大石理紀(石橋静河)。最終回は7月2日午後10時からNHK総合で放送予定=NHK提供

Re:Ron連載「普通ってなんですか」(第1回)

 NHKで放送中の「燕は戻ってこない」は名作だ。桐野夏生の同名小説が原作で、日本ではまだ法整備がされていない「代理出産」がテーマ。29歳、派遣社員で手取り14万円、貧困にあえぐ主人公・理紀(石橋静河)が、貧困を抜け出すために代理母になるストーリーだ。

 隙のない怒濤(どとう)のストーリー展開が魅力だが、加えて登場人物の造形が実に巧みだ。どの登場人物も致命的な欠陥があり、それでいて憎み切れない人間的魅力がある。

 この作品を通して、貧困に陥った人の身体を買うこと、若さや生殖機能、女であることを金に換えることについて考えたい。

 理紀は、代理母になる契約をしたにもかかわらず、複数の男性と関係を持つという暴挙に出る。しかし、そこに至るまでには経済的にギリギリの生活で、心身が追い詰められていく過程がある。一見愚かでどうしようもない短絡さとだらしなさがあるが、代理母になればすべてが拘束されていいのか?など、様々な問いを投げかける存在だ。

 世界的バレエダンサーである自身の遺伝子を残すべく、理紀に代理母になることを依頼した基(稲垣吾郎)は、妻・悠子(内田有紀)に相談せずに生殖医療エージェント「プランテ」に登録するなど、自らの遺伝子を残すために手段をいとわないところがある。代理母を引き受けた理紀にあらゆる禁止事項を作り、のませようとするなど、金を払っている方が偉い、絶対と信じて疑わない。一方で、バレエスクールの生徒の親が、平凡な自分たちから生まれた子どもに才能はあるのか、と悩み相談を持ちかけた際、「人間は遺伝子の奴隷ではない」と諭すなど、価値観が揺らぐ場面もある。純粋に悠子を愛し、悠子に責められれば自省する柔軟さもある。

 悠子は、基の子どもを産むべく長年不妊治療に取り組むが、3回の流産を経験。自らの遺伝子が入らない子どもを基が望むことに葛藤する。理紀の身を案じ、代理母というシステム自体に違和感を持つ。妊娠した理紀から子どもは基の子ではないかもしれないと打ち明けられた際、基にはその事実は告げない、どんな子も自分が育てるから堕胎しないでと理紀に言ったにもかかわらず、結局、基に秘密を明かしてしまう。混乱する基に対して、ぜんぶあなたが招いたこと、と責め、堕胎しないことを迫るが、自分は育てないと言うなど、理性的な言動をしながらも中途半端な正義感で事態をかき回す身勝手さもある。

 話が進むごとに登場人物が立体的になり、印象も大きく入れ替わる。完全に悪と言える人も善と言い切れる人もいない。どの登場人物も愚かな一面があるが、簡単には断罪できない複雑さがある。

「愚か」という非難の裏に

 理紀が避妊せずに複数の男性と関係を持ち、後に精子の寿命を調べて、ことの大きさを悟る場面では、理紀の短絡さと愚かさを非難する声がネット上で多く上がった。

 筆者自身、自分で自分の立場…

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