
滋賀の高校野球を引っ張ってきた名将が一線を退く――。近江高校(彦根市)を春夏合わせて23回甲子園に導いた多賀章仁監督(65)が10日、今月末で退任するのを前に記者会見を開いた。「36年間も高校野球の指導者として携われたことは奇跡。あらゆるものに感謝している」と語った。
多賀監督は、1989年に近江の監督に就任。攻守ともに手堅い「近江野球」を築き、滋賀を代表する強豪に育てた。甲子園には夏16回、春7回導き、2001年夏と22年春には準優勝を果たした。
4強に終わった昨夏の滋賀大会後に「後進に道を譲ってほしい」と退任を打診されたという。甲子園での通算成績は28勝23敗。「あと2勝したかった」としつつ、「28勝できてこんなに幸せなことはない」と話した。
「主役は高校生」指導で大事に
指導で大事にしていたのは、春から夏へ向かってチームが一つになっていくこと。「主役は高校生。自分の思いを押しつけないことが大事だと思っていた」とした。
多賀監督は退任後に総監督に就く。後任には、01年夏の甲子園で準優勝したときに主将だった、コーチの小森博之さん(41)が就任する。「部長・監督コンビが大事。近江野球の鍵になる」と小森さんにエールを送る。県勢悲願の甲子園優勝を後進に託すことについて「(優勝は)令和の時代にあると思う。甲子園に出て通用するチームがそろってきている」と話した。
県内のライバルにとって、多賀監督が鍛え上げた近江は越えなければいけない「壁」だった。選手の間でも「近江に勝って甲子園に行く」が合言葉のようになっていた。
ライバル・滋賀学園の山口監督は
「滋賀の高校野球を引っ張ってきたのは、多賀監督率いる近江。(『滋賀のチームは弱い』という扱いを)時間をかけて払拭(ふっしょく)し、実績を上げられた」
そう話すのは、滋賀学園の山口達也監督(53)だ。00年に監督に就任し、滋賀学園を近江のライバルになるまでに育てた。
監督就任時は創部2年目。選手たちが強豪校に物おじしないように、近江などにそっくりなユニホームを着てノックを打ったこともあった。
春、夏、秋の公式戦で初めて近江に勝ったのは09年夏の滋賀大会決勝。甲子園への切符を初めてつかんだ試合だ。
山口監督は「それはうれしかった」と振り返る。「近江を倒せば全国でも通用すると思って、みんなが力をつけていった。これからもいいライバル関係でいたい」と話す。
「強いだけじゃなく、多賀監督の選手のマナーを含めたチームづくりは模範だった。ほかのチームにいい影響、いいものを残して頂いた」と県高校野球連盟の馬場光仁会長は感謝する。今後について「県下全体を見渡して頂いて、より一層、滋賀の高校野球のレベルアップにご助言を頂けたらうれしい」と期待した。