建築家の原広司さんは1月3日、88歳で死去。大阪・梅田スカイビル、京都駅ビル、札幌ドームなどを設計した 私が最初に原先生に会ったのは1971年だった。 どういう時代だったかというと、全共闘運動があっけなく終わって、三島由紀夫が三文役者の死のように自死したのが70年である。水俣病が公害問題の象徴として認識されるようになって「チッソ」が激しく糾弾された。 大阪万博が開かれたのも70年である。「月の石…