日常の背後にある謎と神秘を描いた20世紀美術の巨匠、ジョルジョ・デ・キリコ。不穏な夢のような印象を与える初期の形而上(けいじじょう)絵画が特に有名ですが、デ・キリコの味わいどころはそれだけではありません。今回、東京・上野の東京都美術館で開催中の「デ・キリコ展」(朝日新聞社など主催)を見に訪れたのは、美術史に詳しいアイドルの和田彩花さん。お気に入りに選んだ5点の絵画を中心に、たっぷりと魅力を語ってもらいました。

「岩場の風景の中の静物」と和田彩花さん=東京・上野の東京都美術館、山本倫子撮(C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

■デ・キリコ展

東京・上野の東京都美術館で8月29日まで開催中。月曜と7月9~16日休室(7月8日、8月12日は開室)。9月14日~12月8日に神戸市立博物館へ巡回。

 ――最初に選んだのは「バラ色の塔のあるイタリア広場」(1934年ごろ)。初期の形而上絵画を代表する「イタリア広場」と呼ばれるシリーズのひとつで、今展では後にデ・キリコ自ら制作した複製が出品されています

 デ・キリコと聞いて一番にイメージするような「らしい」作品。現実ではない奇妙な世界を描いているけど、遠近感がちゃんとあって、第一印象としては案外、見やすい絵だと感じました。でも、よく見ると微妙に遠近法が崩れていたり、彫像が半分しか見えていなかったり、建物の後ろから謎の影が伸びていたり。デ・キリコの芸術の根本に「調和を崩す」ということがあるそうですが、細かいトリックを使って微妙に調和を崩していくやり方が、すごく巧みだなと思いました。

写真・図版
「バラ色の塔のあるイタリア広場」(1934年ごろ、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館蔵、L.F.コレクションから長期貸与)
(C)Archivio Fotografico e Mediateca Mart
(C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

 私が大学院で研究したマネも、調和を崩すタイプです。マネは遠近法を使って一見わかりやすい3次元空間を描くけど、何かが微妙に違って、絵の前に立つと平衡感覚を失う感じ。マネとデ・キリコにそうした共通点があるのだと、実際に作品を見て初めてわかりました。

 ただ、マネが絵画の伝統を乗り越えようとして調和を崩していたのに対して、デ・キリコに新しい芸術を作ろうという意図があったのかはわかりません。「闘牛士の衣装をまとった自画像」など、何かに扮した自画像を描くようなパフォーマンス的なところもあって、本音が見えず捉えどころがない。でも、もしかするとそれこそが、デ・キリコのしたいことなのかもしれない。

「わからなさ」を楽しめる画家

 ――「福音書的な静物Ⅰ」(1916年)は、第1次世界大戦下の従軍生活の中で描かれた「形而上的室内」の代表作。大阪中之島美術館所蔵で、今展唯一の日本からの出品作です

 形而上絵画という「らしい」作風を確立したのが1910年代に入ってからだったのに、ここでもう、広場から室内に移っている。とにかくいろんなテーマや場面を描いてしまうんだなという衝撃が、この絵にはありました。3次元的で開けた「バラ色の塔のあるイタリア広場」に対して、「福音書的な静物Ⅰ」を見たときは視野がすごく狭まって、遮られるような、画面に圧迫されるような感じが面白かったです。

 形而上的室内のシリーズには、デ・キリコ作品の特徴がわかりやすく表れていますね。たとえば、木枠や菓子、ギリシャの柱、画中画みたいなものなど、互いに関係のないモチーフが文脈もなく並べられていくところ。

 意味のないものを描き出す芸術というものを、ここでは楽しむ必要があるなと思いました。私たちはどうしても「これは何を意味するのか」と考えようとしてしまうけど、ただ並べる楽しさとか、意味のわからなさとか、そういうことを楽しめる画家って貴重ですよね。

 ――絵が「わからない」という感覚は好きですか

 好きです。わかった気になっ…

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