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ミャンマーに歯ブラシを届け、貧しい地域を中心に各地で「歯磨き教室」を開く松本敏秀さん(67)、さえさん(65)夫妻と初めて会ったのは昨年5月、福岡の祭り「博多どんたく」に参加したときだ。
大学時代、ミャンマーに関する卒業制作に取り組んだ私は、同国に特別な思いがある。夫婦を紹介してくれたのは、当時知り合った、他社の先輩記者だった。
祭りでは総勢100人近いミャンマー人・日本人が民族衣装を身にまとい、一緒に博多の街を練り歩いた。私もシャンという少数民族のズボンをまとって輪に加わり、夜遅くまで杯を交わした。
話題に上がるのはずっとミャンマーのことだった。
敏秀さんは歯科医師、さえさんは日本語教師。「歯磨き教室」の活動は2011年から始めたもので、届けた歯ブラシは22万本、無償の巡回診療で訪れた場所は200カ所にのぼる。もともとは敏秀さんの後輩歯科医が現地で同様の活動を計画していたが急逝し、その遺志を継ごうと始めたことがきっかけだったという。
21年2月、ミャンマーでクーデターが起き「内戦状態」となった後は、活動拠点をタイ北西部に移した。それからは避難民向けの歯科検診や歯磨き指導をしている。
「2人の姿を描くことで、少しでもミャンマーの現状に関心を持ってもらえるのではないか」
そう思い、何度か自宅にうかがって詳しく話をきいた。そして昨年11月には敏秀さんの活動についてまとめた記事を、今年1月にはさえさんが見た現地の変化を伝える記事を書いた。
- 歯科医師の松本敏秀さん ミャンマーへ届けた歯ブラシ22万本、手弁当で続ける思い
- 指を失った若者が奏でたギター 日本語教師が見たミャンマーの変化
夫婦は報酬も寄付も一切受けていない。貯金を切り崩しながらやってきた。2人にこう聞いたことがある。
「通い続ける、原動力は何ですか?」
返ってきた答えは「現地で会った、子どもたちの笑顔」だった。笑顔をまた見たくて、守りたくて、現地に足を運び続けるのだ、と。
記者には、歯科医師として健康を守ったり、日本語を教えながら現地の人をサポートしたりする力はない。それでも、誰かの語りに耳を傾け、発信することはできる。
ミャンマーにいる人たちの苦境に思いをはせる人たちを少しでも増やしたい。そのためにも、2人のような人々の活動をこれからも伝えていきたいと思う。