朝日新聞阪神支局襲撃事件で犠牲になった小尻知博記者の遺影に手をあわせる人=2024年5月3日午前9時55分、兵庫県西宮市、田辺拓也撮影
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 兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に男が侵入し、散弾銃で小尻知博記者(当時29)ら2人が殺傷された事件から3日で37年がたった。支局には拝礼所が設けられ、訪れた市民らが小尻記者の遺影に手をあわせた。事件が起きた午後8時15分、支局では朝日新聞社員らが黙禱(もくとう)した。

 新型コロナ対策で見送られていた、記帳台設置と事件資料室の公開が2019年以来、5年ぶりに再開された。

 大阪府の大学生、清水遥さん(20)は、事件資料室の展示を見て「人の命が本当に奪われたということを痛感した」という。「言論の自由は大切だが、匿名で誹謗(ひぼう)中傷をする『見えない暴力』もある。SNSの使い方を含め、みんなで考えていかなければ」と話した。

 大学時代に小尻記者の取材を受けた千葉県の高校教諭、沼山尚一郎さん(60)は「取材対象に優しく接する記者だった。なぜこんな事件が起きたのか、真相を知りたい」。

 広島県呉市川尻町にある小尻記者の墓では、朝日新聞大阪本社の龍沢正之・編集局長らが手をあわせた。龍沢編集局長は「暴力に決して屈せず、言論の自由を大切に守っていく」と墓前で誓ったという。

 龍沢編集局長は取材に「社会は大きく変わり、ゆがみを抱え、国際情勢も不穏。小尻さんだったら、どんな風にこの時代や世界と向き合っていただろう。その未来を奪った暴力の罪深さをかみしめた」と語った。「自らと異なる考えを暴力で封じ込めるような行為を絶対に許してはならない」と力を込めた。

 事件は1987年の憲法記念日に起きた。支局に男が侵入し発砲。小尻記者が死亡、犬飼兵衛記者(2018年死去)が重傷を負った。

 「赤報隊」を名乗る犯行声明文には「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」と記されていた。事件は未解決のまま02年に時効を迎えた。(原晟也、真常法彦、遠藤花)

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